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村上先生を訪ねて

ハイアットR
村上和夫先生を訪ねて・祇園祭宵山・再びハイアットリージェンシー南港 
 7月16日・村上和夫先生を訪ねて・祇園祭・ハイアットリージェンシー南港へ
 京都に村上和夫先生の講演があると情報を得るや居ても立ってもいられない妻が入場券を手配したと事後報告。当然わたしは運転手を仰せつかることになる。当然講演も拝聴する。これだけ同じ先生の講演を聴いた経験は未だにない。(それは現在進行形である。)今回の最大情報は「人間は宇宙から体を借りている。死はそれを宇宙にお返しすること。」人間の体の分子は宇宙の中にあるものから成り立っている。1回聞いてみてください。大学教授の話とは思えないほどユニークな語り口調で、自分のジョークに溺れてしまうことがしょっちゅうです。(ジョークの前から笑っている。)昨年11月には東京の九段会館まで出かけて行った。妻が元気を無くしていた時で、先生のお話を是非聞きたいと思っていた矢先、この時の講演を知ったようである。脳梗塞でたおれた一ヶ月後の講演であった。私たちは病気になったことも知らず上京したわけで、ステージにソファーがセッティングされ始めたことから、とうとう村上先生もダライラマの境地に至ったのか・・・?などと想像を巡らしたわけであるが、実はご病気だったとは。普通に歩けない状態なのに講演に来るなんて・・・。感動の上に感動を上乗せし、パワーを分けてもらった妻がわたしの傍らにいる。その3ヶ月後、徳島の護国神社での講演も拝聴。その時は片手に杖を持ち、片足を引きずりながらも気丈に講演される先生の姿に、またまた感激を覚えざるをえませんでした。そして今回、病気以前の状態にまで回復されているご様子でした。
2011年の村上和夫先生

京都にて
 杖もなく大地をしっかり踏みしめて歩く先生がそこにいた。前回は私たちの地元で3月に公演を拝聴した。その前は2010年の神宮外苑での公演だった。病に倒れられた直後の公演だった。
徳島にて
 2011年3月徳島での公演から。杖をつきつつ、でも人の手は借りず。先生の性格を垣間見たような・・・。眼光鋭く公演が進められる。しかし、ギャグの前から自分のギャグにはまってしまう先生がそこにいた。
昔ながらの風情漂う
 初めての祇園祭。この時期になかなか京都を訪れることはない。宵山という響きもいいですね。徳島では本祭(本宮)の前の夜を宵宮なんて呼ぶ。

ビルディングの谷間で
 都会とマッチングしている。何の違和感も感じない。時の流れと共にその町にふさわしい形として同化して行ったのか?違和感を感じない私たちがどうかしているのか?
山鉾は大気中
 明日の出番を待って山鉾たちは休養中?幾つかの山鉾を見て歩く。たぶんいろいろな重いが込められて形作られたことは察することはできる。
提灯にも灯がともり
 子どもからお年寄りまでが参加している。流石に女の子は山鉾には・・・。日本の風習と言ってしまえば終わりであるが。相撲も土俵に女性を乗せない。命の源であるにもかかわらず・・・。
 16時学会終了後、今日は祇園祭の宵山ということから、京都市内に繰り出すことにした。市内のパーキングは利用できないと考え会場近くの阪急電車の駅近くに車を置き、そこから四条烏丸まで電車に乗った。帰りの切符もすぐに買い込み長刀鉾を探して四条通をうろつくことに。そこの混みようと言ったら満員電車並で動くことさえ容易でない状態だった。目指す長刀鉾を発見。その後は空いている区域を目指してぶらぶら歩いた。とあるコンビニの前の植え込みの縁に座り込み、いつもは風の吹かない京都に夕暮れの涼やかな風を感じながら「コンチキチ」の調べに堪能した。単純な調べこれがまたいい。この雰囲気にとてもお似合いだ。千年の時の流れを感じることができそうだ。

大阪でお泊まり