賢治く〜ん遊ぼ〜 本文へジャンプ
輪島でお泊まり 金沢へ

 24年前は輪島から少し離れた「ねぶた温泉」で泊まった。この名称は覚えていなかったのであるが「助寿司」の若旦那にきき、翌日二人の目で確かめた。イノシシの傷を治したといういわれがある。そのいわれを覚えていたので確かめることが出来た。その頃手になかなか治らない蕁麻疹のようなものが出来ていたのであるが、この湯に浸かった翌日蕁麻疹は消え失せていた。千枚田から少し行った記憶があった。右側に見付けた宿はNo Vacancy.その次左側に見付けたのが「ねぶた温泉」だった。24年前は能登半島を反時計回りに回ったが、今回は時計回りに回ってみた。24年前の私たちに会えるような気がして。
 今回は市内のメルカート輪島で泊まった。部屋も大きく温泉もついていた。1000円分の有料道路のプリぺード付きでもあった。夕食は散歩がてら少し離れた「助寿司」へ。旦那は数回徳島にも来ていて話を盛り上げてくれた。24年前ここを訪れたことや御陣所太鼓を聞いたこと、それに手のできものを治してくれた温泉のことも話題になり、楽しい一時が過ごせた。おまけに今は道の駅で開催されている御陣所太鼓の場所まで車で送っていただいた。おいしいおすし共々ありがとう。  

北陸旅行第2日〜第3日

輪島朝市
 一番最初に声を掛けたばあちゃん(左端)のところで、ミニワラジを購入するが、他のばあちゃんの所により美しいものを多々発見することが出来た。真ん中のばあちゃんは、朝御飯替わりのおにぎりや芋を台車に乗せて売り歩いていた。朝市を何往復も歩いているようである。
千枚田
 24年前は曽々木で御陣所太鼓に聞き入ってからのことであるから夜中の10時頃、ここを通りすぎた。ただ千枚田の看板だけを見て。能登半島もひたすら海岸線を走りに走った。
軍艦島(見附島)
 24年前ここの松の木の下にビー玉埋めたよね。なんて、たわいもない作り話をしながら見附島にやってきた。恋路という近くの駅の入場券を買った覚えもある。
 昼ご飯は日本海クラブで、食べた。造りの割にリーズナブルでビールもベルギー風のこしらえだと聞いた。3種類いただいたが、今では飲めない渦潮ビールの方が私の口には合っていたような気がする。

渚ドライブウエイ
 能登半島がどれくらいで回れるか予想もつかなかったので、金沢の知人に何の連絡もせず、ここまでやって来た。金沢着が5時前になりそうなので、急遽会いたくなった。ナビで住所を検索し直行とまでは行かないが門前近くまで到達することが出来た。
兼六園
 朝は早めに置き、市場へ海産物を物色にいく。目当ての海鮮丼屋も開店前で近くのスタバで軽い朝食を取る。その後、兼六園へ向かう。二日酔いも重なり少々グロッキー?
金沢城石川門
 熱中症にもう一歩。24年前ここの石垣に上って写真を撮ったのだが、それらしき場所がない。それにしても暑い。朝から歩き通しということもあり、疲れも重なって、妻が倒れる寸前?休み休み駐車場まで辿り着く。よく倒れないで頑張ったものだ。えらい。

 金沢の知人とはサイパンで知り合った。ワンダーシーというダイビングショップで一緒に潜った仲間である。彼の職業は僧侶である。ぜひ、彼の袈裟姿を拝見したいと思い立ち、立ち寄ることにきめた。先方にとっては迷惑な話だと言うことは、百も承知しているのではあるが、私にとってタイミングが良すぎた形となって現れた。妻共々一緒に飲み歩いてくれ、昔の金沢についても語ってくれた。おいしいお酒を飲むことが出来ました。ありがとうございました。
 最終日。24年前を遡る旅は架橋を迎える。(体力・体調的に)もう若くはないのに朝から歩き過ぎた。駅前のホテルからいちばへむかい、兼六園では近くに駐車場を見付けることが出来ず、園内でも路頭に迷い、とうとう金沢城内でノックアウト?クーラーの効いた休息所で30分あまりの休養をとる。再び市場へ海鮮丼を食べに。海鮮丼は函館で、はまってしまった。
元気を取り戻し帰路につくことに。妻が朝食を取ったスタバでおやつを仕入れてきた。マンゴのフラッペがおいしかった。お土産が買えていなかったこともあり、高速の道の駅に寄る。行き当たりばったり、店員の口車に乗せられズワイガニ四杯・甘エビ1ケース・サザエ4こを1万円で買ってしまった。(本当は市場でアワビ十枚五千円というのを買いたかったのであるが、午後から出向いたときには、すでに無くなっていた。)行きと同じように帰りも多賀により045。改装が進み洒落たサービスエリアになっていた。それにしても人が多い。
 24年ぶりの北陸旅行はというと、いつもの旅行のように喧嘩がなかった?この年を迎えて成長するのかな?なんて思うが、「年の功」という名の成長の証なのかも知れない。でも、またすぐたわいもないことで喧嘩するのだなと心の片隅で思っている。24年前は相手の気を引こうとする気持ちが、心の大半を占めていたに違いない。自分の良いところを見せたくて。何もかも知られてしまった今、妻と連れ合う最良の方法をこれからの旅で模索したい。人生旅の途上。
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