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9月13日(日) ワシントンDCモールからアーリントンへ

 日曜日ワシントンDCは道ばたに駐車しても良いそうである。兄ちゃんのお勧めはワシントンモニュメント近くであったが,キャピタル近くの駐車となってしまった。妻のケツは痛みの挙げ句数百メートル歩いては休憩の連続であった。自然史博物館の前ではベンチに横になってしまった。ワシントンモニュメント近くのセメントの上でも横たわった。

 35年前ここを訪れたことを思い出す。上まで登ったな。今は整理券が必要だそうだ。星条旗の並びには変わりがない。そこから芝生の上を休み休み 第2次世界大戦記念碑まで歩く。
 リンカーンメモリアルまでもう少しだ。リフレクティングプール横の林の中の遊歩道を静かに歩いていく。ワシントンモニュメントより存在感がある。何といってもリンカーンがそこに鎮座している。多くの人々が切れ目無く集まってくる。

 キャピタルは工事中。こんな姿も今しか見られないと思ったら,また面白い。内部のツアーも参加したかったが,モールの見学に時間を充てた。


 自然史博物館:ナイトミュージアムで一躍有名に  自然史博物館前のベンチに横たわる妻  スミソニアンキャッスル:総合案内所

ワシントンモニュメント リンカーンメモリアル リフレクティングプール

馬上警官の姿も 第二次世界大戦祈念碑 大西洋戦のメモリアル

リンカーンメモリアル ゲスティバーグの演説 セグウエイツアー

 近くのフードスタンドでサンドイッチの昼食を摂る。私はビールまで頂いてしまった。アーリントン墓地まで歩くことにした。キャピタル近くの車まで帰るのと距離的に変わらないと判断したからである。橋の上でも2回休み,アーリントン墓地へ入る。硫黄島のモニュメントとJFKのお墓もお参りしたかったからである。
 ビジターセンターでそのことを告げると小さなメモと地図上に2カ所書き込んでくれた。無名戦士の墓の前では衛兵の巡視があった。JFKのお墓は質素だが立派であった。硫黄島のモニュメントはアーリントンの外に出なければならないという。

 JFKと奥さんのジャクリーンのお墓:奥さんて再婚してなかった?と妻との会話。娘は今日本のアメリカ領事として活躍している。弟のロバートのお墓も左隣にある。小さな白い十字架のお墓である。


 アーリントン国立墓地のエンブレム  モールを歩いて,橋を渡りやってきました。  何の為の戦争なのでしょう。命と引き替えた物は?

 無名戦士を守る近衛兵:オールドガード Memorial Amphitheater  地下鉄の駅が近くにあるにはあるが・・・。

 駐車した場所からは5kmを有に超えていると思われる。歩いて帰るには酷すぎる。限界が来ている。アーリントンの最寄りの駅から地下鉄に乗ることにする。しかし,チケットマシーンからはチケットは出てこない。人のを真似ようと考え先に人を通したが,その人もフォーリナー。チケットを出すことができない。駅員を呼ぶしかない。駅員でさえ手間がかかっている。もっと簡単な操作で出てきて欲しい。サンフランシスコのバートの券売機もしかり。図体ばかりがばかでかい。
 もっとびっくりしたのは,首都のメトロなのに45分も列車待ちをしたことだ。夕方の利用者も多い時間帯だろうに。隣のアルゼンチン人の兄ちゃんも文句を言っていた。タクシーで行けば良かったと。日本にも行ったことがあるそうだ。車は駐車した場所にそのままある。ステッカーも貼られていない。これから真っ直ぐ西に走り、高速に乗ると1時間少々でウッドストックである。

硫黄島・アレキサンドリア