台北〜ホ里
日月タン〜高雄
台北〜九フン
故宮博物院
2月5日(金)故宮博物院〜帰路
9:30ホテル出発。予定時間より1時間も繰り上げて故宮博物館へ向かうことになる。その前に定番のショッピングセンターへ。高雄より目に付けていた「猪」(台湾の干支は猪ではなく豚である)の置物は倍の値段になっていた。お茶を頂き妻は中国語のレクチャーを受けている。
故宮博物院は流石に広い。有名な品々を案内してくれるが総勢30人は多すぎる。解説の品の前には近寄れない。その説明の間に周りの品々を眺め,ツアーメイト達が引き上げてからの鑑賞となる。ガイドの解説も私の求めているそれとは少しずれている。
お土産購入の前に一旦外に出て記念撮影を。シャッターを押してもらう人を捜す。
故宮博物院
個人的にゆっくり回ってはみたい。所蔵品のガイドブックを購入。妻は今日見られなかった「白菜」のお土産を物色していた。「豚肉」は見られた。ヒトラーも美術品に関心を持っていた。蒋介石もよく持ち逃げできたものだ。軍事作戦以上の緻密な策略だったことが伺われる。
ホテル外観
蒋介石関連
圓山大飯店
故宮から桃園空港へ。混んでいるから先に昼食を摂れ!?荷物を見ておくから!。このツアーは2団からなっている。2つを集め一人が荷物。もう一人がチェックインの手続きと振り分ければ問題ないはずである。読めない対応であった。
チェックイン後にしたいこともある。折角楽天のゴールドカードからプライオリティカードを入手しているのだから,その分は元を取りたいと思っている。関空では,大韓航空のラウンジが使える(一杯だと入るのを拒否される:ビジネス以上優先)
軽い昼食とアルコールをここで取ろうと考えていた。口コミからタイ航空のラウンジ横にあることを確認していた。いざ現場に向かうと工事中?なのか掲示板もガムテープでふさがれている。プライオリティカード利用の弱点であろう。ホームページからもその場所は検索しにくく,現地では捜すのはもっと難しくなる。今回もターミナル1には存在するとインフォメーションのお姉さんが教えてくれた。しかし,ここはターミナル2である。
桃園空港イミグレーション
自動改札のイミグレ?
プライオリティ消えている
アフリカ旅行やペルー旅行ではこのラウンジがとても有効活用できたという経験もある。ホームページで分かりやすく表示するべきである。PC上からその場所を探すのに一苦労。現地に行っても所在を捜すのにも一苦労。今回のように閉鎖という局面にも遭遇することにもなる。利用できれば昼食代も浮かせられるしビールも飲める。私にとって旅の一部となってはいるのだが・・・。
機内食チキン
機内食ポーク
桂花(唐招提寺にもあった
飛行機の出発時刻も1時間ばかり遅れた。飛行時間は110分余り。席は中央4列の真ん中の2つ。身動きの取りにくい席があてがわれた。ヘルシンキからの帰りも同じ並びの席だった。おまけに座席のコントローラーが壊れている。それをキャビンアテンダントに告げても「後で」という返事が返ってきた。期待はしていなかったものの何らかの事後処置は必要な場面だと思われる。自分が航空会社の看板を背負っているという自覚に欠けるものだろうと言うことに気付いていない。私の席は「34D」担当だった方気を引き締めてがんばろう!機内は行きと比べ満席なのに食事がチョイスできた。行きは一種類のみだった。これまた不思議?
関空着が21:20くらいだったろうか?21:45発の関空港行きのバスに間に合った。10時のベイシャトルに乗れる。乗客は20名あまり。同じツアーの姫路の4人組とも同じ船だった。一番若い青年は添乗員のアシスタントを要領よくこなしていた。機嫌さえとっていた。
淡路パーキングで夜食休憩。タマネギラーメンを食べる。そこへ韓国人の10名くらいの団体が現れる。食券の買い方が分からず適当なことをやっている。見かねた妻が助け船を出すが,何のお礼を言うこともない。
今回の添乗員の名言がある。海外旅行に出れば自分が母国の先頭に立っている。その行動が日本人なのである。ここでは「韓国人は有り難うも言えない」というレッテルを私たちが張るということである。ハンブルクでも日本人は顔写真のページに搭乗券を挟んでくれている!と言われたことがある。その時私はそうしていなかったので「アイムノットジャパニーズ」というとパスポートが日本じゃないか!と言われたことを思い出す。かつてグレートバリアリーフで妻とシーウオーカーのアクティビティに参加した時着ていたウエットスーツを表に直していると「日本人だけがそうやってくれる」と係の青年が語っていたことを思い出す。当然のように「ジャパニーズカスタム」と答えていた。
海外に出た人々はそれぞれに少なからず母国を背負っているのである。責任ある行動が必然となる。「旅の恥はかきすて」的行動は控えたいものである。
6日の1時に途中眠気に襲われることもなく我が家に帰り着くことができた。