賢治の旅日記 本文へジャンプ
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 会津若松

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 宮沢 賢治

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 弘  前
2006年5月3日〜6日 東北「奥の細道」漫遊記 

 今年のゴールデンウイークは5日間ある。5月2日にふと妻に「竜飛岬見に行こうか?」と声を掛けると「うん」という返事がかえってきた。無論冗談で言ったわけではない。即座に「うん」と答えた妻を今となっては敬服する。2日の夜遅く身支度を調え、3日の朝4時〜5時の出立であったろうか?高速通勤割引の制度があり、神戸鳴門ルートから中国道経由東北自動車道に入る計画を立てた。日の出の頃宝塚を通過するが、下り線の混雑が始まっていた。幸いにも上り線の混雑はそれほどでもなく、順調に名神から北陸へと高速道路を流れていく.予定であった。桂川手前で京滋バイパスに入る。名神に再び入れば100KMを越えてしまうので京滋バイパス途上のインターで降りETCカードをチェンジ。再び乗ろうとするが上りの入り口が見あたらない。仕方がないので再び下り車線で1インター引き返すことに・・・。
  新潟県柏崎のパーキングでは「恋愛成就の鍵」たちに対面し、昼ご飯を屋台ですませ高速道路を磐越自動車道へ乗り換える。会津若松を目指すことにした。 会津若松城見学の後、喜多方ラーメンを食べに喜多方へ。研修で以前訪れた時にはタクシーの運ちゃんから情報を得たことを覚えている。今回は時間のゆとりのないことから行列のできているラーメン屋はパスし、駐車場のあるラーメン屋をチョイスした。交差点に差し掛かるやラーメン屋の駐車場を後にする車と遭遇、その店に決めた。麺は縮れ麺に変わりなく。味は醤油豚骨だったろうか?
夕暮れの猪苗代湖を横目に見ながら湖畔を東北自動車道に乗り換え一路森の都仙台へ。今夜の寝床を捜すべく仙台へ。
 本当に行き当たりばったりの旅だったのである。

会津若松城

会津若松城
 幼稚園の学芸会で白虎隊を踊ったっけ?幕末を駆け抜けた志士たちの思いが宿る城の一つなのだろう
天守閣から
 妻です。若いですね。会津若松が一望できる。
春の息吹を感じつつ
 2002年に研修でこの地を訪れていたのだが

甍のコントラストが面白く
 忍者が訓練に使えそうな
しだれ桜はかろうじて
 第1日目は天気に恵まれ桜と共に北上してきた。
桜の絨毯
 風に吹かれもせず、静心無く花の散った様子がうかがえる。
 桜の散り際を追いかけての旅となった。今まで一生分の桜を堪能したかのような気分を味わうことができた。
 

 仙台で何軒のホテルを訪れたことか?何回「満室です。」の返事を聞いたことか。仕方なくただ北上することに。こんなにホテルが多いのにホテル取れず。海岸沿いに北上する。モーテルを発見するものの待てど暮らせど出てくる気配は一行にない。皆お泊まりのようだ。12時も近くなった頃、通りすがりの漁港近くの郵便局の駐車場で一夜を明かすことに決心させられた。近くにコンビニ(サンクス)があったことも要因の一つとなった。塩竃漁港であったろうか?

 塩竃辺りで一泊。小さな民宿まで満室であった。(あの震災であの郵便局は災害を免れたのだろうか?サンクスは?)

ああ松島や