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再びマンハッタン

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マンハッタンナイト

帰国の途上
第3幕マンハッタン10月8日(土)〜12日(水)

10月8日(土)アメリカ再上陸
 トロントからニューアークまでエアカナダ。本日は金曜日マンハッタン泊は軒並み500ドルオーバー。ニュージャージーで泊まれば幾分安いだろうと空港近くのこのホテルを予約。「ラマダ・イン」それでも$223。ホテル検索サイトはスムーズに繋がる。ニューアークインターナショナルエアポート到着後イーストオレンジへ向かうことになる。

 夕刻ニューアークに到着。入国審査は案の定無かった。アメリカを出国(審査は無かった)してカナダ便に乗るために手荷物検査をした通路の隣をすり抜けて行く。狭い通路である。カナダ行きの時と同じフードコート(VillaFresh ITA$21.54)で夕食。タクシー乗り場へ。
 ニューアークのタクシーシステムを素晴らしいように思ったのは,つかの間。受付に行き先を告げると109のタクシーに乗れとの指示。レシートを2枚渡される。この時利用の仕方を聞くべきだった。グーグルと10分の距離を30分乗せられた。こんな時,正当な文句を英語で言えればいいのだが。チップを渡さないという方法もあり得るのかもしれない。いい加減なタクシードライバー。請求金額は$54.57。高すぎるといえどもメーターを見ろ!遠回りしただろ!こんな時しっかりした英語力を持っていたらとつくずく思う。レシートがあるのでいろんな所に問い合わせしてみようかななんても思っている。
 ここで疲れがどっと出てチェックイン後、湯船で寝てしまっていた。妻に揺り起こされる始末。明日からマンハッタン。ウエストサイドのホリデイ・インを3泊予約した。$1000と嘘みたいな料金であった。ビジネスホテルなのに!モーテルなのに!こちらもホテル検索サイトから簡単に繋がり予約の運びとなる。ジャルサイトは繋がらない。(この時点で帰りの飛行機の予約が取れていない。)
 泊まったホテルはイーストオレンジのラマダ・イン。場末のホテルだが料金は223ドル。

第三幕。ニューヨークマンハッタン編

旅の第三幕 ニューヨークマンハッタン観光
10月9日(日)ニューヨーク(ホリディイン)
10月10日(月)ニューヨーク(ホリディイン) 
10月11日(火)ニューヨーク(ホリディイン)
10月12日(水)JFK〜機中泊
10月13日(木)〜成田〜徳島
10月14日(金)PCR検査

 ニュージャージー側からハドソンリバーを挟んだマンハッタンの風景。
 マンハッタンのホテル到着後はホテルに荷物を預けてメトロポリタン美術館に向かうことにしていた。ここからの風景は私も初めての場所になる。

10月9日(日)マンハッタンへ
 朝食はお弁当。そのお弁当を持って再び部屋に。コーヒーメーカーでコーヒーとともに朝食。イーストオレンジからマンハッタンへ。交通手段はホテルからタクシーを呼んでもらうものの・・・。最初にやって来た運転手イエローキャブにくたびれたタキシードを着用している。マンハッタンを告げると,別の車を呼びつけた。一体何なのだろう。私たちには知る余地もない。理由を聞く語学力もなかった。流れ的に受け容れざるを得ない?ホテルからのタクシー依頼でもある。行き先を告げるとスマホにホテルアドレスを入力してくれとのこと。妻が請け負った。これもうさんくさい。このタクシー出発するや否や急ブレーキ。私は前のアクリル板におでこをぶつけてしまった。対向車が旧左折したせいであった。

ラマダ・イン たくさんのスクールバス メットの最寄り駅

 目指すホテルには行き着いた。マンハッタンウエストサイドのホリデーイン。タクシー料金は言い値で$150。メーターもない。「現金ないわ。銀行に行ってくるわー」と言えば,「どうぞ」とやり返してくる。イエローキャブを使った白タクだ。先のドライバーが非番のドライバーを呼んだに違いない。事細かく私たちの推理を英語で説明すれば,いくらかのディスカウントもあり得たかもしれない。どこかに訴えるぞ!とか。または「現金はない。カードしか。」でも良かったような気がする。ホテルできちんと降ろしてくれているのが救いであろうか?
(初日10月1日のタクシーが$200でJFK〜ニューアーク。本日9日のタクシーがオレンジイースト〜マンハッタン$150。最終日マンハッタン〜JFKが$80)と書き連ねると$30〜$50くらいのぼったくりか?ニューアーク〜オレンジイーストのホテルまでがもっとボラれていたことになる。かな?$54だった。
 ホテルでタクシーをお願いするときは、行先と大体の料金を聞いておくべきことを学習した。
 ホテルで行先を告げタクシー依頼をするのがベストであろうか?最終日ホリディインではウーバーを呼んでくれていた。

メトロポリタンミュージアムへ

 ここのホリディイン人気なのかチェックインに時間がかかった。時間的にチェックインできないのではあるが荷物預けのためのラインが長かった。予約の有無も確かめずに荷物を預かっている。面白い。時間短縮の意味合いがあるのであろうか?

 メトロポリタン美術館。3回目のニューヨーク訪問で初めての訪問となる。さすがにでかい! 息子が初任者研修の折に立ち寄ったというが、どれほどの物を見られたのだろうか?
 セントラルパークの東側中央に位置する。

 地図を片手に街に出る。目指すはメット:メトロポリタンミュージアム。地下鉄に乗ろう。ウエストサイド側からタイムズスクエア方向に進む。坂を上ることになる。ワンブロック。さてどちらへ。妻が地図を持っている。49丁目OR51丁目がどちらなのか実際に歩いてみないと分からない。ワンブロックを歩く。現在位置が判明する。地下鉄乗り場まではもう1アベニュー進まなければならない。地下鉄駅を発見。
 そこからがもう一苦労。ニューヨークの地下鉄は上り下りで入り口が決まっている。入り口を間違えれば,目的地に行くことはできない。逆方向に進むことになる。何回か上り下りを繰り返し,何回か改札を潜り直した。その都度料金が!
 そして発券機の使いづらさも追い打ちをかける。サンフランシスコやワシントンDCの発券機は非常に古く馬鹿でかい。使いづらさも並大抵ではなかった。アメリカの最新システム?なのだろうが,未だに一昔前の感覚で作っているようだ。グローバルスタンダードではない。中国の発券機が使いやすかった。
 若者は改札を飛び越えていく。無賃乗車である。外国には出口の改札はノーチェックの所が殆どである。ベルサイユで切符をどこに入れるのかを探していると,ご婦人からそのまま手で押せば開くのとレクチャーされたこともある。
 やっとの事で乗ることができた地下鉄であったが,どこかで路線の変更があったようだ。ホームがクローズされている。仕方なしに乗車した列車であったが,行き先を地下鉄を生業としている方から乗り換えをレクチャーされた。
 乗り換えた地下鉄では親切なお嬢さんから席を譲るとの申し出を無碍に私は「I am young」と断った。私の心理的には,大丈夫そんなに年取ってないよ!のニュアンスを込めて言ったつもりだったのであるが,彼女は少しショック状態であったのが見て取れた。妻がすかさず,お礼にと折り鶴のプレゼント。彼女はあっけにとられた様子。こんな鶴は折れないの。折り紙の大きさが・・・。妻は持っていた折り紙をもプレゼント。ほんのすれ違いから,大きなインプレッションに大変革。それも又面白い。小さな接触から大きな変容が生まれる。それも又旅の醍醐味の一つでもある。
 メットの最寄り駅で降りることができた。そこからセントラルパークを抜けメトロポリタン美術館へ。妻が誘導してくれる。ナビが動き出し,誘導の手助けをしてくれ始めた。
 セントラルパークを歩くのは初めて。以前は空港に向かうタクシーで通り抜けた。日曜の昼下がり三々五々人々がそれぞれの楽しみ方で時間を過ごしている。屋台の風情もなんとも言えず良い。
 入場前にメットの前で腹ごしらえ。ホットドッグ2本$8。水付き。パンにウイナーとケチャップ。それだけ。

 デンドール神殿。エジプトからのプレゼントだそうだ。シーザーの建てた神殿。エブプトセクションの最後にある。その大きさは半端なものではない。展示空間もバカでかい。このセクションンの終わりにトイレがある。  一番下がホテル置きの市内地図。Helloはメトロポリタンのパンフレット。黄色は地下鉄カード。日本のシステムとは違いとても使いにくい。北方面がup・南方面がdown最初はサインが分からず何回か改札の潜り直しを余儀なくされた。  青柳さんお勧めの館内散策手書きルートマップ。
 自動販売機でチケット購入まで行っていただけた。
 真子さんは勤務しているのだろうか?

 右上はThe Met の館内地図。レセプチョンで「日本語のパンフレットはないの?」と尋ねたのが日本人のオオヤギさん。コロナから日本人が少ないので日本語のパンフレットが廃止されたとのこと。そこでお勧めルートを地図に書き込んで頂いた。@エジプトのセクションから入り二階へ。A日本の着物のセクションを裏口から入り,入り口から出て建物の反対側まで移動し,印象派のセクションへ。C最後は1階の奥の地階に降りフェルメールを見てはと提案してくれた。おまけに入場券の自販機の操作までして頂いた。使い勝手が悪いのだそうだ。最初のエジプトのコレクションの数の多さにあきれてしまう。

 古代エジプト文字。書かれたのはパピルスに違いない。  エジプトと言えばミイラ。カイロのニューリアルした博物館にも行ってみたい。  メットの入り口で手荷物検査を受けた後,正面にインフォメーションを確認することができる。

 ここで京都出身のオオヤギさんとの出会いがあった。日本語のパンフレットを探せども見つけることができなかった。カウンター内の人に日本語のパンフレットはないの?と伺うと廃止になった。とのこと。本当に館内は日本人の姿は希有であった。その後は関西弁での質疑応答が繰り返された。
 オオヤギさんお勧めルートに従って館内の散策に出発。インフォメーショウンを右に突き当たるとエジプトのセクションになっている。膨大な展示品群の最後にテンドール神殿の巨大ホールが待ち構えている。

日本のセクションは着物 おなじみ ゴッホは人気で正面か
らの画像が撮れなかった。

白い花瓶とアイリス 糸杉の風景かな これもゴッホです

 エレベーターで2階に上がると短い階段で日本の着物のセクションの出口に到達。入り口に向かって歩くことになる。
 入り口から出て逆サイドの印象派のセクションへ向かう。
 日本人好みのルノワール・モネ・ゴッホ・ゴーギャン等々の作品の数々が所狭しと並べられている。部屋が複雑に入り組んでいるため,効率よく回ることは私たちには困難であった。

モネの水連 フェルメールも 今宵の夕食セザンヌ?

 その後1階に降り,ヨーロッパ彫刻群を見ながら中央奥へ。階段を降り地階にはレンブラントやフェルルメールの作品が展示されていた。
 幸いにも私たちには船頭さんがついてくれたが,ルートを決めていないと闇雲に歩いて徒労だけが残ったに違いない。訪問の際には予習が欠かせない場所の一つである。
 外に出ると聞き慣れた日本の楽曲がサックスの音色とともに流れている。少し違和感も感じたが・・・。陽の傾きかけたセントラルパークをゆっくり来た道を引き返す。

 帰りのメトロはスムーズに乗ることができた。メットを訪れるために乗ろうとした時には,upとdawnの表示に気がつかず,切符の無駄遣いをしてしまっていた。乗ろうとしていた路線のホームがクローズされていたことにも戸惑った。地下鉄を生業?とする人に助けてもらうことにもなった。あいにく小銭の持ち合わせが無かった。肩からカメラバックを提げている初老の私に席を替わろうと言ってくれた少女の姿もあった。
 メトロカードは発行に1ドル必要。チャージも自由設定することができず(できるのかもしれない)カードには数ドル分の残金がある。アンリミテッドを信じたい。
 最寄り駅といっても大分歩かなければホテルには帰り着けない。救いは帰りは下り坂になる。ホテル近くの「デリ」で本日の夕食を確保。30ドル余りで賄えた。為替の高騰が無ければ,我慢できる料金である。

 糞高いホテル代を少しでもカバーしようと夕食はデリに決めていた。ホテルから1ブロック東に歩くとデリが数件存在していた。どのお店も食材に変化があり,味付けにも個性があるようである。ビールを買っても30ドルくらいで済ますことができた。カナディアンクラブはトロント空港の免税店で2本仕入れていた。夕食画像はどこかセザンヌぽいですね!?

一人タイムズスクエア・MoMAへ