旅のプロローグ
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旅のエピローグ |
12月25日(木) ミラノ・ピサ・(カンピビンセンツォ泊) |
この日も夕食後ホテルに到着。外観も内装も近代風であるが、内装は暖かさに欠ける。地下鉄駅近く(駅上)あるという口コミを信じていた私だった。が、周りを見渡してもそんな雰囲気は感じられない。ドーモのライトアップを見たかったのである。フロントの姉さんにメトロの駅は近くにあるの?と尋ねると、馬鹿にしたような口調で「ファーラウエイ」と応えられた。気分の良さが最高潮に!仕方なく部屋に帰って持参したウイスキーで気分直しを図った。部屋は少し手狭さを感じた。壁は打ちっ放しで冷たい感じがする。おまけにテレビの電池が切れていてリモコンでの操作ができない。電池交換をお願いする。室内履きは1足のみ。
次の日朝7時からの朝食。20分あまりたった頃ツアコンから朝食は7時30分までで終わってくださいとの指示が入る。次のツアー客が待っているとのこと。食べ始めてそんなこと聞いても・・・。ツアコンの押しの無さは感じ取っていたのであるが・・・。朝食の種類も少ない。一つのテーブルで済ましている。それだけのキャパなら食堂もそれだけのものを用意しなければいけない。旅行会社にしてもそれだけの情報を仕入れておかなければならない(阪急)。旅行の喜びが半減してしまう。この旅行のホテルは郊外ばかりがチョイスされている。事故は少なくなるだろうが・・・。面白さも半減してしまう。
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ザハブ(ミラノ):外観で判断してはいけない。今回の
最悪ホテル。 |
スカラ座前路面電車が走っている。黄色い電車:リスボンを思い出した。 |
スカラ座:オペラを鑑賞してみたいが、そんな時間もなく・・・。 |
33年前は最後の晩餐の修復中でうっかりカメラのストロボを焚いてしまった。見学者から叱責をいただいた。今回はそばを通る予定もなく残念な思いがした。第2次世界大戦の連合国の空爆に奇跡的に残った教会の壁に残されたものが最後の晩餐である。修復前・修復後の対比が見られる唯一の場所が徳島の大塚国際美術館にある。
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ヴィットリオ・マヌエレ2世ガレリア入り口。抜けるとドゥオモ広場へ。 |
中央にあるクリスマスツリー。 |
ドゥオモ:中ではクリスマスのミサが厳かに催されていた。 |
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ドゥオモのぐるりを一周。屋根にも上れた記憶があるが。 |
空の青さが目に染みついた。 |
スカラ座での演目・出演者リストかな? |
ミラノは天気が良くイタリア晴れ状態だった。
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夕日に染まるピサ。斜塔は鐘楼。手前がドゥオーモ。 |
いろいろな由緒が残る伽藍。奥が洗礼堂(バッティステロ) |
33年前こんな撮り方はしなかった。大流行のポーズ。 |
夕方小雨にも見舞われたが、それと引き替えに虹のプレゼントを届けてくれた。
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虹とのコラボ |
真っ直ぐな斜塔? |
ガリレオの実験器具? |
33年前には斜塔の途中で外に出られ、外縁に腰掛け、足を投げ出した記憶が残る。白のフィアット(昔のブルーバード似にている。)5人乗りのレンタカーでローマから斜塔横まで乗り着けた。南部から旅行に来ていた親子の写真を撮ってあげ、未だに送れずにいる自分がいることに改めて気付かされた。行動に移そう。
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フィレンツェ
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