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4月23日プロビンスタウン |
ケープコッドの先端を目指す。鎌の先端のような半島の先端にある最果ての街:ここには「プロビンスタウン」がある。街のはずれには「プロビンスタウンイン」ホテルがある。反対方向には「ケープコッドナショナルシーショワー」が指定されている。今もなお砂が堆積されているように見える。この湾の中でメイフラワー号が冬を越したという。半島の形状から冬の波風を避けるのに適した場所だったのかもしれない。ピルグリムたちが上陸した足跡も・・・街の中央の丘の上にひときわ高くそびえる「ピルグリムモニュメント&プロビンスタウン博物館」があったが、クローズ。残念!町中でガソリン給油だがトイレは無いという。
中央の高速には195号線の標識も併設されていた。橘から南国までの国道と同じ番号であった。わが故郷への道?そんなはずはないが・・・親近感を覚えずにはいられなかった。 |
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メイフラワー・ピルグリムは、プリマスに定住する前に、1620 年にプロビンスタウンに上陸しました。それはプロビンスタウンの人々が世界に知ってもらいたかったことです。
プリマスのピルグリム上陸が1620年12月20日。歴史的事実として残っている。ピルグリムのアメリカ初上陸として世界史でも扱われている。しかし、ここプロビデンスタウンにはピルグリムの上陸が11月21日にあったとされる史実が残っているそうである。
そびえ立つ歴史的な脚注(国立公園内のサインボードから)
1902年ケープ コッド巡礼者記念協会は、町の最も高い場所に、できる限り高い記念碑を建てようと努力しました。その結果、ピルグリム記念碑が誕生しました。町の上にそびえる高さ 85 フィートの砂丘、ハイ ポール ヒルに建つ高さ 82 フィートの無償の鐘楼です。この塔はイタリアのシエナにあるマンジャの塔をモデルにして作られました。
現在、この記念碑の 116 段の階段と 60 段のスロープを登り、ケープ コッド ベイからプリマスまでを見渡すことができます。ここは、ピルグリムたちがアウター ケープ コッドを 5 週間探索した後、放棄された原住民の村の跡地に最終的に定住した場所です。
巡礼者たちは何を探していたのでしょうか?彼ら以前のヨーロッパの探検家たちは何世紀にもわたってこの地域を調査しており、岬周辺の海域は豊かな漁場であることが知られていました。しかし、ピルグリムたちはヨーロッパに持ち帰る資源を探していたわけではありません。彼らは新しい家を築くためにやって来ました・・・。とある。
夕日を左側に見ながら一路プリマスへ向かう。帳が下りた道をひた走る。高速を降りプリマスに入るものの「ホリディイン」を通り過ぎ、しばしのロストウエイ。グーグルマップ不調。ホテルを入れ直す。「ホリディイン」は隣であった。サインの照明がなく見落としていた。ナビも不正確さを露わにした。ホリデイインはカントリーサイズの広さがあった。冷蔵庫も電子レンジもコーヒーメーカーもあったのでしょう!?
ナショナルパーク巡りではアメリカ西部のモーテル泊まりがほとんど。モーテルには電子レンジとコーヒーメーカーが必ずと言っていいほど備え付けられていた。アイスマシーンも。スーパーで冷凍食材を購入後調理することも。カット野菜・果物類は必需品。
最近の円安とアメリカ国内の物価高騰を受け、日本から持ち込む食材が増えつつある。以前は非常食としてカップヌードルを持ち込んでいたが、最近はレトルト食品や調理米まで。長期滞在するならキッチン付きの部屋を選ぶようになってきた。且つ朝食付きもうれしいホテル選びの条件となってきている。今回の旅行で10泊したが、全て朝食付を選んだ。1泊目のハイアットプライスの朝食は、今までのモーテルにはないものであった。本日のホリディインも悪くはなかったが・・・。朝食付きプランを選んだばっかりに・・・ということもあった。NYのハイアットプレイスは1昨年のホリディインと比べ雲泥の差であった。朝食と夕食はホテルで。ランチをレストランかファストフードでという具合になる。
おやつを買いに向かいのファーマシーに徒歩にて出かけた。小袋のおつまみが重宝した。
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