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4月24日(水)プリマス〜アンドーバーダブルツリーヒルトン4連泊
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朝食はハイアットの方がいい。それでも円安下、朝食をしっかりとる。
メイフラワー2世号(プリマス)について
第二次世界大戦後、メイフラワー号の航海を再現しようという動きが生まれた。海軍の設計士 William A. Baker により、なるべくオリジナルを忠実に再現した船が設計され、イングランドのデヴォンで1956年9月22日に進水し、1957年春に出航。アラン・ビリエ船長指揮下、1957年6月13日にプリマスの港に到着し、大歓迎された。
メイフラワー号は、ピルグリム・ファーザーズが1620年、イギリス南西部プリマスから、新天地アメリカの、現在のマサチューセッツ州プリマスに渡ったときの船の名。マサチューセッツ州プリマスはプリマス植民地の中心地となった。乗客は102名、乗組員は25から30名だった。
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プリマス。ここでも観光案内所を尋ねることにした。2匹目のどじょう狙い?ここを訪れた最初の日本人だそうだ。日本の旗をシーリング下の飾り棚に掲げてくれた。香港。フィリピンに続くアジアスペース3番目の国になった。
スタッフの一人が息子さん夫婦の日本旅行の時の写真も見せてくれた。また後でトイレにお寄りということでメイフラワー号セカンドに向かう。街が工事中で通行止めだらけ。六感にて車を走らせる。
メイフラワーU近くのパーキングスペースに。しかし、駐車場の使い方がわからず四苦八苦。通行人や利用者に使い方を尋ねるものの明確なものを得ることができなかった。クレジット払い発券式のパーキングチケット。発券されたチケットをダッシュボード上に置いておけばいい。印字された時刻がタイムリミット。何度か繰り返すうちに要領が(仕組み)理解できた。
メイフラワーセカンドに乗船。モニュメントではなく実際に操船できるようだ。館内のテレビスクリーンにその様子が映し出されている。プリマスプランテーションとの2か所セット券を購入。インフォメーションでも推奨された。
メイフラワー号が出発したのは1620年9月16日(ユリウス暦9月6日)で、病気に苦しめられた66日間の厳しい航海を経て、ケープコッド先端の釣り針のようになっているところ(プロビンスタウン港)に錨をおろしたのは11月21日(11月11日)のことだった。本来の目的地はハドソン川河口で、現在のニューヨーク市付近であり、当時のイングランドのヴァージニア入植地の北端あたりだった。ヴァージニア入植地は全米最初のイギリス人移民地で、これより13年早い1607年に建設されたジェームズタウンから入植が始まった。
しかし、メイフラワー号はコースを外れてしまい、冬が来たためにケープコッド湾に留まって越冬することになった。1621年3月31日(3月21日)、冬の間船内で生き延びた乗客らはプリマスの岸まで移動し、メイフラワー号は同年4月15日(4月5日)にイングランドに向かって旅立った。
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乗船前プリマスロックを:プリマス・ロック(Plymouth Rock)とは、いわゆる「巡礼始祖(ピルグリム)」が、1620年にメイフラワー号からプリマス(現在のマサチューセッツ州東岸)に上陸した際、最初に踏んだとされる岩。アメリカ合衆国についての著作で知られるアレクシス・ド・トクヴィルも、この岩についての言及を残している。
ネイティブからすれば屈辱の岩となるそうである。メイフラワー号も然り。
「プリマスプランテーション」の入場券は「メイフラワーU」とのペアチケットで購入していた。アメリカの歴史村といったところ。当時の建物を再現し当時の衣装で当時の生活を再現している。ご婦人が板塀の修理をしていたのが面白かった。衣装についても尋ねると説明してくれた。そこら辺をブラついているのも大変だなという印象。ある建物では当時の織物が再現されていたりもする。
施設内で印象に残ったのはウインターハウス。毛皮の種類や冬の過ごし方について3人のレンジャー?スタッフが解説してくれる。20人余りの4〜5家族が集って生活していたようだ。話を聞いているうちにいつの間にか折り紙のレクチャー教室と化していた。日本文化の伝承の場。真面目に折り方を学んでくれていたようだった! 帰り際中学生くらいの少年少女たちがフィールドワークなのだろうか?多く訪れていた。彼らを相手にするとスタッフたちも息を吹き返すのであろう?その場を確認することはできなかったが・・・
観光案内所お勧めのスポットにも寄ってみることにした。記念碑「National Monument to the forefathers」
先祖国定記念碑は、以前はピルグリム・モニュメントとして知られており、メイフラワー号の巡礼者を記念している。1889年8月1日に献堂され、後に米国に受け入れられるようになった彼らの理想を称えるものです。世界最大の花崗岩の固い記念碑であると考えられています。とあった。
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観光案内所上の博物館にも行ってみたが拝観料が高すぎた為、拝観を中止。再びウオーターフロント観光案内所へ。メンバーが変わっていたが、この二人もいい人たちだった。メイフラワー上陸の1620がプリントされたモニュメント?「プリマスロック」をプレゼントしてくれた。
プリマスでの観光が厚くなり過ぎセーラム・コンコードは寄ることを断念。アンドーバーのホテルへ向かうことにした。
やはり出発前の日数が少なすぎた。今回のA35Kのファーストクラスを諦め国内旅行に切り替えようとも思っていた矢先のファーストクラス降臨。ニューイングランド地方の地理的関係を掴み切れていないままの出立となった。レキシントン〜コンコードと回ればボストン周辺の渋滞も避けられたうえ、独立戦争発端の地やオーチャードハウスにも寄ることができていたかもしれない。今回は2回目のファーストクラスということで・・・辛抱。
ボストン方面への渋滞がひどい。グーグルマップがルートの変更を告げてくる。言われるがままに。ボストンを抜けても暫く渋滞は続いた。
陽も傾きかけた夕刻アンドバーのヒルトンに到着。高さ制限でもあるのか建物は5階建てだが横方向にとても長い造りとなっている。郊外に点々と会社等の私設がある。チェックイン入室後近くのスーパーへ。閑散とした住宅地が広がっていた。酒屋も発見。
レセプション横にに電子レンジとコーヒー・温かいお湯?が置かれてあった。夕食は何とかなりそう!果物・ヨーグルト・野菜・冷凍食品等の腐りやすい物は現地のスーパー等で調達。それをホテルに持ち込み夕食とすることが多くなってきた。レストランに入ると異常な高さを感じてしまう。節約は食費以外に考えられない。けちけち旅行は楽しくはないが帰国後の支払いが円安の影響もあって恐ろしい。ここヒルトンには4連泊冷蔵庫もあるが?コンセントが抜かれている。風呂やトイレの水が濁っているぞ!茶変したお風呂に入らざるを得なかった。次の日スマホの写真を見せ直して?依頼!ルームチェンジしてもらえばよかった。
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