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10月2日

 コロナ前の函館訪問では海鮮を食べてると一人5千円位食べていた?記憶があった。ということで今回はホテル代に1万円上乗せしてビュッフェ形式の朝食付きホテルプランをチョイスしてみた。手前の巾着気になりますよね。小さな御櫃にご飯が入っていました。皆さんぶらぶらさせて持ち歩いているので面白いです。海鮮以外のチョイスも、できるのもいいですね。どれを食べようかと迷ってしまいます。


 函館2日目。空は雨模様。今日は函館の東部太平洋岸の縄文遺跡を巡ろうと計画を立てていた。3時30分には函館の土方歳三ゆかりの地をガイドツアーしてもらうつもりであった。

どうもこのレンタカーのナビとは相性が悪いらしい。思った先に案内してくれない。ナビが案内してくれたのは「垣ノ島遺跡」世界遺産に登録されている。そこで巡り合ったのがこの国宝である土偶。函館市縄文文化交流センターと併設されている。
出土年月日1975年(昭和50年)8月24日。
出土地:著保内野遺跡(北海道茅部郡南茅部町〈現・函館市尾札部町南茅部〉にある個人所有地の畑に所在する集団墓の遺構で調査終了後は埋め戻された。ゆえに詳しい現地情報は積極的に公開されない)。
重要文化財指定年月日:1979年(昭和54年)6月6日。指定名称:土偶 一箇 北海道茅部郡南茅部町著保内野出土
所有者:南茅部町が函館市に編入される前は同町、編入後は函館市。収蔵者:南茅部町役場。
国宝指定年月日:2007年(平成19年)6月8日。指定番号:00042。指定名称:土偶 一箇

北海道函館市著保内野遺跡出土
所有者:函館市。保管施設:函館市縄文文化交流センター(所在地:函館市臼尻町551-1)。
時代:縄文時代後期後半。年代:約3500年前。
寸法:全高41.5cm、肩幅20.1cm、重量1.745kg。
備考:中空土偶。出土地「南茅部」の「茅」と「中空土偶」の「空」に由来する愛称「茅空(かっくう)」でも知られる。現存する中空土偶としては日本最大。土偶として2件目の国宝。北海道で唯一の国宝。出土後の30年以上を町役場の収入役の金庫室の金庫の中の桐箱に収められ保管されていたが、発見から31年目の2007年(平成19年)3月に国宝指定の答申があり、一転して脚光を浴びる存在となった。スミソニアン博物館や大英博物館など世界の名立たる博物館で展示された後、同年6月に国宝の指定を受けた。とある。
この土偶も非常に小さいものであった。 シャチをかたどった焼き物であるが、現代のブローチにでもなるかな?



 函館市縄文文化交流センター(垣の島遺跡)から5キロメートル。大船遺跡がある。一見日本国中どこにでもあるような竪穴式住居である。(この木組み面白いことにネジ釘で固定されていた。なぜ麻縄で縛らなかったのだろう?ことはさておき)近寄ってみると深く掘られた土台の上に建てられていた。吉野ヶ里でも三内丸山でもこんなに掘られた竪穴住居は見たことはなかった。当然徳島でも。深さは深いもので3メートル近くあるという。防寒対策なのであろうか?復元された竪穴住居に近寄ると係の方(アメリカ式でいうならパークレンジャー)がいらっしゃってお話を聞くことができた。先ずはこんなに深く掘られた竪穴住居は見たことがなかったというお話から。建物の東側には祭壇があって中央に囲炉裏。火の番をしていたのが女性だったようで、その窪みからは後産や臍脳を収めたらしい形跡が残っているという。一家の中心は女性だったようだ。昔を尋ねるって面白いですね!石皿の多さにもびっくりさせられた。料理を盛ったり調理をした石皿だそうだ。一見では済ませてはいけない代物である。世界遺産!




間欠泉公園と聞きこんなのが見られるのかなと勝手に想像しました! こじんまりとした道の駅でしたが人の往来は途切れることなく続いていました。こちらでは温泉の蒸気を利用したローカルフードが頂けます。昔ながらの装置がレトロ感もあって面白いです。道路の向かいには鳥羽一郎歌碑も設置されています。ちなみに画像1はイエローストーンの間欠泉でした。私が最初に見た間欠泉は別府温泉の竜巻地獄でした。中学生の修学旅行のよき思い出の1ページになっています。


レンタカーナビとの相性の悪さ、行きたいところには行けず。イカの土偶が見たかった!

15時半からの約束もあるので、函館空港に向かってみた。コナン君の余波も残っているものの、やはり地元人グレイの存在は大きいようだ。アイヌの伝統工芸も展示されていた。この空港は利用したことはないものの地方空港としての頑張りの目立った空港であった。娘のお土産のリクエストをここでゲットすることもできた。

 舟見町だけあって函館湾が一望できる。坂も急いので滑り止めの砂が各所に設置されている。昔ながらの洋館風建築物もちらほら見ることができる。函館の消火栓は三ツ口になっている。

 一昨年5月の函館訪問の時「函館観光街歩きガイド」の「話術調所」、「これぞ王道!函館の魅力凝縮コース」という観光ガイドをお願いしてみた。2000円という料金設定であまり期待もしていなかった。しかし、この時のガイドさんが経験豊富な経歴の持ち主で、話しっぷりも夫婦で気に入ってしまっていた。ペリー提督前で解散となったが、自宅に帰る道すがらいろいろとお話を加えていただいた。
 今年も函館を訪れることになり、ガイドさんの指名をしてみると同じガイドさんを宛がっていただけた。昨年分かれた「カールレイモン」の店で再開。今年は土方歳三の函館での足跡をたどることになっていた。
之野口番所跡 弥生小学校 グレイスタジオ

 最寄りの市電駅は大町駅。「新選組屯所」跡地の由緒書き。その後「沖之口番所」「函館郵便役所」現在は「函館市臨海研究所」と変遷を重ねている。映画「居酒屋兆治」で警察所として使われたという。
 明治維新この前には台場が設けられ、新選組もその守備を任せられていたということである。土方も五稜郭との行き来が頻繁にあったのでは・・・。
 弥生小学校。この小学校は石川啄木の通った小学校で、教鞭も撮っていたという。ここに車を止め、急な弥生坂を上る。
 弥生小学校から弥生坂を上る。左手に近代風の建物が・・・。ここは函館空港でも紹介したグレイのスタジオだそうだ。こんな急な坂道です。大型の消防車は入れないところとか!こんな所に咬菜園跡が・・・。近くに中島三郎助のサインが・・・。ここからの函館湾。舟見と言われた由縁が・・・。裏町にいろいろな歴史的なものが残り、現在でもなおミュージシャンの根城となっているのも面白い。

急な坂道 実行寺門前

 舟見町から坂を下る。本当に時の流れがスローになったかのようなスポットである。土方歳三が祀られている。高田屋嘉兵衛の一族も!ガイドさんの勤めていた日ロ水産の一族の墓所でもあるらしい。土方歳三ミステリアスであるからこそ現代の若者にも人気があるのだろうか?
実行寺門前から。アジサイが立ち枯れのこんな感じで一年の終焉を迎えようとしている。まるでドライフラワー。今回の土方歳三を追ってのガイドツアーはここをもって終焉となる:(画像3)。台場の土台の岩は防波堤として今も函館の港を守っているとのこと。車の中でもまだガイダンスは続いていた。ガイドさんを送って最初に再開したレイモンハウスまで送り届ける。ここで登場したのが今回の函館旅行に持ってきた鳴門ワカメとスダチの徳島土産であった。今宵の宿はOMO5。その近くにも土方歳三終焉の地があるという。いろいろな話を語り合いながら別れの場所に。
 その後ライトアップの函館公会堂を覗き、今回世話になったレンタカーの写真も撮り、OMO5に向かったのであったが・・・。
 函館ガイドツアー終了後今宵の宿泊先omo5に向かったのではあるが、目と鼻の先に来てナビがよろしくない。左折するべきところの指示がない。周辺を何周もドライブ。車を止めて所在を確認後進入路へ。やっとのことでホテル到着。中国系の旅行者でごった返していた。部屋の大きさは昨夜のセンチュリーマリーナと変わらないが、ベッドはツインになった。フロントにも現代的なウエルカムボードがある。部屋着もロゴがかわいかった。二階には共用スペースがありOMOしろい。ここから階下の温泉に向かう。マックスバリューも隣接しているので夕食の調達もできる。

今宵は大門横丁に赴いた。値段の設定がうさんくさかった。どれも1000円を切る設定。驚くような物は出てこなかった。客層はサラリーマンや地元人も見えているのに。函館はこんなものかな?と・・・。突き出し・ビールにカシスオレンジ・シシャモ3尾・ホッケの刺身5切れ・日本酒・チヂミ・・・。物足りなかったのでイオンにてつまみと大沼ビールを調達ホテル飲みとなった。
 寝る前に一風呂。黄金の湯とか?命名されていた。
 次の日は朝食海鮮バッフェ!前日のセンチュリーマリーナを体験していなかったら、それなりにすごい。コンパクトにまとまった朝食海鮮バッフェである。宿泊料金の差は今回7千円であった。


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