エジプトへ
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12月4日(日)第2日目 エジプト・カイロ |
バイキングの朝ご飯をたらふく食べ,絵はがきを買いに売店へ。しかし,切手までは買えずじまい。連泊で同室ということで部屋の片付けは二の次にはがきを世話になった子どもたちに出発の時間まで書き始めた。
今日はギザのピラミッドを訪れる。途中カイロ市内を通るが天候のせいもあり街のイメージが暗い。お墓の上に家を建てて暮らす人々や無計画に立ち並ぶ日干し煉瓦の町並みを垣間見るや悲壮感に襲われた。ギザに入っても川はゴミだまりが目立ち,歴史の重みなんて感じられるはずもなく,ただ貧困の様子が想像されるだけであった。天気がそんな気持ちを助長したのかもしれないが。
それでも建物の間から見え隠れするピラミッド達には心惹かれるものがあるにはあった。
ギザ3大ピラミッド・クフ王・カフラー王・メンカフラー王・スフィンクス |
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ピラミッドの化粧石
石灰岩質の化粧石で表面が覆われていた。とても軟らかい。 |
ピラミッド底辺部分
ピラミッド側面は意外にでこぼこ。登るのは難しそう。
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頂を臨む
ピラミッドの底からピラミッド頂上を除くとこんな光景になる。 |
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スフィンクスのお尻から
ものの本を読むとバクシーシでスフィンクスの境内に入れるそうな・・・? |
ピラミッド頂上
過去のピラミッド頂上付近にモニュメントらしきものが確認できる。 |
スフィンクススと
スフィンクスがピラミッドを背負った!スフィンクスはケンタッキーを見つめている。 |
バスから降り立ち,見上げるピラミッドには重厚さを感じた。しかし,直ぐさま観光客に近寄ってくる兵士がマシンガンをぶらさげているのがとても怖い。あるモスクでは十四五の少年がそうしていた。愛らしい少年だった。
近づく土産物売りや得体の知れない人々。クフ王のピラミッドの周りを歩いているときに手渡されようとしたガラス玉「プレゼント」という声に握りしめていたらどうなったのか?友だちになれればいいのだろうが・・・。「写真を撮ってあげよう」と近寄ってくる警察官。断ると「子どものためにボールペンをくれ!」という。「バクシーシ」「バクシーシ」ひつこくつきまとわれるが,相手にしないのが分かると立ち去っていく。
バスの止まった丁度反対側に「太陽の船」を展示した博物館がある。時間がない。ツアーのどうしようもないことの一つに,どんなに気に入った場所でも決められた時間を守らないといけないということがある。どうしても見たかったのではあるが,前まで行って諦めることにした。他のツアー客に迷惑をかけてしまう。10分でピラミッド1周が写真を撮りながらのタイムリミットだった。
ギザには3つの大きなピラミッドが残っている。小さなものは多く点在していた。真ん中の化粧石がトップ付近に残っているピラミッドに入ることが出来た。カフラ王のピラミッドである。中は人いきれで湿気が多く,汗をかいてしまうほどである。緯度的にはカイロは日本の屋久島辺りだと聞く。外は日本の初冬の肌寒さを感じた。写真撮影は禁止されていた。滑り止めの付いた板敷きの狭い通路を下に降りたり,上がったりしながら,行き止まりの小ホールへたどり着く。なんの説明もないのでガイドブックを思い出しながら,自分に解説していく。すれ違う異国の異人達に多生の縁を感じながらもピラミッド内部を後にした。
その後,小高い丘の上に着く頃には朝の霧は晴れ,青空の下にピラミッドを拝むことが出来るようになった。サハラ砂漠の中の写真で見るピラミッド達がそこにある。砂漠地帯で霧が出るなんて想像もしていなかった。ピクチャースポットには露店が多く,民族衣装を着た老人に,ボールペンをせがまれた。日本のボールペンは人気があるのです。商売が出来そうな雰囲気だった。サハラ砂漠の砂を採取した後は昼食である。
いや,その前にパピルス製造直売店へのお礼参り?(ツアーには必ず着いている)があり製造工程についての説明は以前中村さん宅(和紙アーティスト)を見学したときの「パピルスは紙じゃない」という言葉の合点がいった。買おうか買うまいか迷った挙げ句,交渉の仕方によっては値段がグッと下がるということが分かり,ジェットラグとの相乗で面倒くささが募り,買うのをやめた。
さて,昼食はエジプトの鳩料理とやらを食わされた。家族には止められていた。インフルエンザが怖いから・・・同席は男性単独参加4人組。いろいろ質疑応答が繰り返されたがお互いの職業については証さないものなんだ。私も決して証したくない。サッカラビールは5ドルもとられた。イスラム圏でビールが製造されていること自体おもしろいのだが,外貨獲得のアイデアなのか?エジプトの物価からしても高すぎる。昼食と夕食の飲み物は半強制的で,何か作為のようなことも感じられる。ビール1杯5〜600円,日本なら当たり前なのではあるが。ツアーでは世間相場を把握することが難しい。
午後からは,オプショナルツアーが組まれていたが,団体行動が苦手な我が輩は迷わず自由行動を選択した。自由行動といっても制約付きで,話を聞いているだけでうんざりする程だった。カイロ市内を散策することを楽しみにしていたのに夕食の時間が1時間早まったこともあり,その願いは叶わなかった。それならば,現地相場の把握をと近くのスーパーに出かけることにした。歩いて20分の距離をタクシーを使わされた。ホテルマンが行き方を教えてくれなかったのである。タクシーを止めてくれたがチップは当然払わなかった。帰りは当然歩いた。
スーパーは大きい割に客が少なく品揃えも豊富で値段を確かめながら散策するにはもってこいのものだった。しかし,ビールはどこを探しても発見することは出来なかった。文房具売り場の中にお土産に出来そうな物がいっぱいあった。パピルス風のメモ用紙や切手・コインなどを買い求めた。その他にアラビア語で書かれたお菓子やゼリーのたぐい,それに忘れてはならないペットボトルの水。大失敗はメイドインチャイナの金の置物であった。エジプトに来てまで。
水については実際に水道水は飲まなかった。少し濁りがあったからである。生野菜やカットフルーツ類については口にした。周りのご老人達は情報が入っていないのかパクパクやっていたが,別に何の変化も見られなかった。季節的によかったのかな。夏に訪れた人の話では食中毒を引き起こした人は少なくなかったという。買い物袋を両手に提げ,現地の人かのように,信号はあっても作動していない道路の横断に取りかかったが,その成功まで数キロメーターの道のりを要するはめになった。10M近くある中央分離帯の上をひたすら歩いた。立体交差もありホテルまでの道程は,やま感である。道に少し迷ったが6時過ぎにホテルにたどり着くことが出来た。運動不足は解消された。買い物の整理と絵はがき書きに夕食までの時間をあてた。
夕食はナイル川クルーズである。少しリッチな気分に浸れそうな気がした。そこで隣り合わせたのが札幌のご夫婦とダブルみかちゃんである。同じツアーとはいえ初対面に近くあまりつっこんだお話も出来るはずもなく・・・ただ,ベリーダンスに興じた。カイロ中心部の夜景とダンスを見ながらの夕食は2時間で終了。ホテルについてトランクに荷物を整理し,水割りで口を湿らせ,明日に備えた。明日はイスタンブールに向かう。ギザのピラミッドのナイトショーに行きたかったな。
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イスタンブール |