西安への誘い
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賢治の旅日記
5月25日(日)兵馬俑 |
いつもの朝食ビュッフェで変わり映えのない,いつもの朝食をゆっくり摂る。余り騒がしくないのが救いか?昨日のホテルよりも,料金が高いので中国人が敬遠しているようだ。ヨーロッパ系の観光客が目立つ。コーヒーは,2日たっても相変わらず濃過ぎる。
朝食を並べてみた。(昼食&夕食も並べてみよう)
≪西安郊外観光≫兵馬俑
08:30ホテル出発・秦の始皇帝を守る永遠の軍隊
【世界遺産】◎兵馬俑坑博物館<1〜3号坑と銅車馬>(約2時間30分)に出発する。 西安市内から1時間余りかかって到着。今日は日が良いのか結婚式の集団とよくすれ違っている。途方もなく広い駐車場だ。ここが一杯になるのか?と思われるほどである。バスを降りるや車椅子サービスが駆けつける。ボランティアではないので要注意だそうだ。入場ゲート前の広場も広い。手荷物検査を受けての入場となる。
『兵馬俑では専門係員による解説をききながらのご案内!』とあったが,この専門員眉唾物で,サブガイド的な仕事しかしていない。ガイドは西安さんが行っている。地元雇用の利益還元策だと思われる。
約2200年前に埋葬された近衛師団の兵馬俑は,始皇帝陵を永遠に守る陵墓の副葬品として,陵墓の周囲を取り囲んでいる。その数8000体,それぞれ異なった風貌。等身大の大きさで平均身長1.8m,馬や戦車,青銅の兵器もある。
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俑とは古代中国で死者を埋葬する際に副葬された人形のことで,木製のものや,布製の服を着せたものもある,多くは焼き物で作られている。中国で俑が製作され副葬されるようになったのは春秋戦国時代のことで,兵士以外にも官吏,舞人や楽人などもある。「兵馬俑」とはこの副葬された俑のうち,兵士及び馬をかたどったものを指すそうである。
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兵馬俑入り口ゲート |
アシスタントの方に |
銅馬車の展示保管場所 |
兵馬俑の兵士の顔は同じものが全くなく,すべて違う顔をしているそうだ。また,すべての顔が秦の敵国が存在した東に向いているとのこと。
博物館は1号坑,2号抗,3号抗,秦始皇帝銅車馬陳列館に分かれていて,紀元前の秦で作られた姿をそのままの形で見ることができる。
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土塁と土塁の間に兵馬俑 |
その上に筵が渡され |
土がかぶせられた。 |
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一番身長の高い兵俑 |
若者の顔つきをした兵俑 |
クールに見える兵俑 |
1号坑からの見学となる。
最大の1号坑は長さ230m,幅62m,深さ5m,総面積14260uで,野球場や陸上競技場のグランドの面積とほぼ同じ大きさなのだそうだ。正面から見た後,大勢の観光客は順番に左右の通路に分かれて館内を進むことになる。人々の声が館内にこだましている。
博物館の入口を入り,しばらく進むと眼下に,東に向かい整然と列を組んでいる6000体以上の歩兵の兵馬俑, 40 数台の木像戦車が見えてくる。。
修復作業作業中の兵馬俑たち。ジグソウパズルのような断片を修復していくのは気の遠くなるような作業である。 |
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入ったばかりの場所は人だかりで前が見えない。人の流れが途切れた瞬間を見計らって最前列へ。人の流れには脈があり。同じ所にステイしていると人が引く時間帯に出くわすことができる。個人参加の訪問客が少なく団体客が多いためであろう。入場前にヘッドセットを手渡されている。団体を離れても西安さんの説明を聞くことはできる。それにしても兵馬俑は圧巻。人々の顔がそれぞれに違う。それぞれに彩色までされていたようだ。発掘されると数時間の内に色は飛んでしまうと言う。体つきまで,それぞれが違う。それぞれが個性を持っている。これだけの兵馬を地上世界と地下世界の間に配置し,始皇帝を守ろうとしていたのであろうか?地上には万里の長城を築かせた権威,地下世界にも一大帝国を築こうとしていたのであろうか?
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一番の男前だそうだ |
胴体の修復 |
一体一体写真撮影を行う |
もう少しゆっくり説明を聞きながらここにいたいと思った。1号坑後方では兵馬俑の修復現場をリアルに見せてくれている。古代の土に触れる。
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陳列ケースに納められた |
兵俑達。個性有る顔立ち |
弓を射る前の姿だろうか |
2号坑へ移る。
圧巻の一号坑を出てしばらく道を進み二号坑に入る。広さは約6000u。ここに安置されている戦車と弓兵の兵馬俑の数は千体余り。孫子の軍事思想に沿うかたちで,戦車兵,騎兵,歩兵,弓弩兵が4つの陣形としてそれぞれ布陣されているそうだ。全貌が露出されていない。まだまだ発掘途上の兵馬俑達で一杯なようだ。電光写真パネルによる解説が多く目に付くようになってきた。顔かたちには民族の違いまではっきり表しているらしい。
四頭立ての馬車を操っているのだろうか?馬一頭に一人が操っていたのだろうか? |
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鎧のマークで階級まで違えている。これらを焼き上げた窯跡は発見されていないのだろうか?労力的には,どれほどのものなのだろう。等身大の体に民族的特徴を持たせ武具を纏わせ各部署の配置まで統一されている。二号坑には,兵馬俑遺跡で出土した,弓矢の部隊の「立射俑」,「脆射俑」,指揮官の「武将俑」,馬の前に 1 体となった騎士俑「騎兵俑」などガラスケースに収められて飾られている。近くで兵馬俑の表情まで見ることができる。
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四頭立ての馬たち |
司令部の兵馬俑 |
兵馬俑が折り重なって |
2号坑と3号坑の境がはっきりしなかったが,3号坑に進むと俑の数は58体と規模が小さくなる。地下軍の司令部とされ,歴史的には重要な遺跡とされているいうことである。
秦始皇帝銅車馬陳列館へ
一号馬車
二号馬車の警備用車両。
銅馬車が展示されている。これも錬金術的に凄い技術なのだそうだ。
本当に緻密な細工が施されている。 |
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1980年10月3日,程学華率いる始皇帝陵試掘分隊が,始皇帝陵墳丘から20メートルの地点の地下7メートルの深さで金製・銀製の塊と金糸のふさを発見した。さらに11月3日,2乗の銅車,8頭の銅馬および2体の御者が,地下7.8メートルの深さで出土した。これらの銅車馬は出土時には破壊され変形していた。半年にわたって2号銅車馬の修復作業がおこなわれ,1981年10月1日に一般公開された。1号銅車馬は,1987年5月に一般公開された。
銅車馬は,4頭立ての二輪馬車で,実際の車馬の2分の1の比率でできている。1号銅車馬は,立車といい,車体の右には盾と鞭,前には弩と矢が掛けられている。車上には1本の傘が立てられ,傘の下には高さ91センチの銅御者1体が手綱を引いて立った。傘には?龍文あるいは?鳳文が描かれている。
2号銅車馬は,安車または??車といい,正座した御者1体が手綱を引いた。車体のドーム式の屋根と四囲の壁には変形龍鳳巻雲紋と雲気紋が描かれている。いずれも素晴らしいの一言である。
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始皇帝陵 |