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賢治の旅日記
5月26日(月)大雁塔〜青龍寺〜興慶宮公園〜唐歌舞ショー
 09:00ホテル出発≪西安郊外・市内観光≫最初に向かったのは【世界遺産】『大雁塔・玄奘三蔵が天竺から持ち帰った経典を保存する為に建立した寺』である。

 予定では大雁塔に登る予定はなかったのだが,急遽登る時間を与えてもらった。20元の拝観料。市内一円の眺望が楽しめる。古代においてはこの塔は,とてつもない存在であったに違いない。


大雁塔内部の階段 大雁塔より市内を眺望 左に同じ

 三蔵法師の天竺までの行程もすさまじかった事が,想像される。陸地とはいえインドまでの長い長い旅路である。629年から634年の間にインドに向かい教典を持ち帰っている。

一の弟子孫悟空である 玄奘三蔵である 猪八戒?は二番目?

  玄奘は仏教の経文原典を求めてインドを周遊し『般若心経』(異説もある)を中国にもたらした。更にその業績は『大唐西域記』や『大慈恩寺三蔵法師伝』としてまとめられ,後に『大唐三蔵取経詩話』でフィクションを含有するようになり,最終的には『西遊記』に結実して世界中に知られるようになった。このため日本では「三蔵法師」と言えば,玄奘を指すことが多い。とのことだ。

境内より大雁塔を臨む 玄奘三蔵と大雁塔 シミは黄砂に削られた?

 徒歩にて界隈を散策しながら昼食会場に向かった。途中シティセンターの様な場所で大きな「悟空」も見せてくれた。三蔵法師の像より大きい!

水書板代わりの通路?_ じいちゃんと孫 精進料理は人気だった。

『ご昼食はヘルシーな精進料理をご賞味ください。』とある「長龍宝看重会館」で精進料理を頂くが,普通の中華料理と見分けが付かないような物ばかりであった。味付けもあっさりしていて口に合った。

 昼食後向かったのは,留学僧だった空海が弟子入りし,密教を学んだ青龍寺(約60分)。
 免許?卒業証書?を授かる弘法大師をモチーフに像は作られている。

 空からぽつぽつと雨が降り始めた。幸い雨は大きくならずに青龍寺へと我々を誘ってくれた。当時の建物は存在しない。

青龍寺 弘法大師の記念碑 弘法大師とお師匠

  四国八十八カ所の0番札所に当たると言う?境内には四国の各県から寄贈された「しだれ桜」の木が植えられていた。1200年以上も昔この地に赴き,仏教(密教)の教えを2年足らずで学び取った空海の凄さを改めて感じさせられる。また密教は言葉や文字で伝授されるものではないとのこと。その困難さにも驚かされる。四国八十八ヶ所の朱印帳を是非とも持ってくるべきであった。

青龍寺 人慣れしたインコたち 訪れた記念に記帳を

『空海ゆかりの青龍寺では「朱印入りお姿帳」をおひとり様一枚プレゼント』だそうだ。
西行法師の入唐は803年。806年無事日本に帰ることができた。青龍寺の門前で人慣れしたインコが近寄ってきた。人から逃げようとはしない。雨も大きくはならず,金色の大きな空海像が,その生き様を物語っているかのように思えた。とてもいい構成である。

知恵の輪:少しは知恵が 阿倍仲麻呂記念碑 全面を撮す

 「遣唐使」阿部仲麻呂記念碑がある公園◎興慶宮公園(約40分)を訪れる。中には遊園地のような乗り物も設置されている。市民憩いの場となっているようである。
 阿部仲麻呂は奈良時代の遣唐留学生で唐の官僚となった。中務大輔(なかつかさたいふ)阿倍船守(ふなもり)の子。安倍仲満とも記し,入唐後,朝衡(ちょうこう)と改名する。
 716年7月,吉備真備らとともに遣唐留学生となり,翌717年遣唐大使多治比県守(たじひのあがたもり)らに従って出発した。唐朝に仕え,高官となる。753年遣唐大使藤原清河とともに僧鑑真に会い,その渡日を要請し,自らも帰国しようとしたが遭難し,ふたたび唐(西安)に帰った。その後も高官にとして重用された。770年正月,唐で没した。73歳。李白や王維ら唐代の文人多数と交際し,帰国に関する漢詩2篇,歌1首を残す。『古今和歌集』所収の「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」は有名。
 空海についても阿倍仲麻呂についても,もう一度勉強し直さなければならないと切に思った。遣隋使や遣唐使についてもしかり。観光旅行とは次元の違うものである。歴史や国語でほんの僅かを囓っただけである。西安(長安)がこれほど遠い所にあるということも身を持って体感することができた。
 雨が大きくなってきた。入り口の門の軒下を借りてバスの到着まで雨宿り。その一角では「社交ダンス」と呼ばれる近代的な?ダンスが男女を交えて繰り広げられている。ここで知り合った中年の男女が恋に落ち,熟年の離婚率が高くなっているという。

・途中,☆絨毯店・ゴム敷きラテックスショッピングへご案内とある。中国旅行定番?阪急交通社の定番?ラテックス会場ではひたすら横になり,絨毯売り場では人ごとであったので半額になれば買うと言ってますよ!と告げると,あれよあれよで20万円の商談が成立。とってもお得になったと他人事ではあるが,そう思った。かつてトルコで買った玄関マットが2枚で20万円だった。

 シルクロードを臨む◎西の城門(安定門)に向かう。(約40分)城壁からの眺望をお楽しみ下さい。とある。ガイドも1時間余り歩かせて見たかったようであるが雨と寒さのために歩くという者が現れない。20分間の自由散策ということになった。


城壁の上は意外と広い。 レンタル自転車の群 結婚式の前撮りも

 天候も悪く城壁を歩く方々は姿を見ない。足跡を残しておきたい似たもの夫婦なのだもので,思った方向に赴いてはみる。それにしても同じツアーの方々の姿がない。時間前ではあるがバスに帰ることにした。私達以外の人々がバスに乗車している。

古代の武器? 夕食は火鍋 鐘楼がライトアップされる

 夕食は火鍋料理「海銀海記」へ。デパートの2階の一角にある。しゃぶしゃぶを模したような鍋料理である。肉は相当煮込む。野菜も同様。取り分けてくれるのが嬉しい。〆に麺が出る。【バス総走行距離:約43Km】

 唐歌舞ショーの後、連れて行ってもらった西安市内の夜景スポットである。内側には近代的なホテル等の商業施設が林立している。

 夕食後≪オプショナルツアー≫ に参加してみることにした。中国西安の最後の夜である。
 唐歌舞ショー。現地ガイド同行(送迎時のみ)。料金:260元/お一人様。所要時間:19:15〜21:10(上演時間約1時間)。最少催行人員:2名。現地申込・現地払い。1万円を570元に両替してくれていた。日本円だと5000円で参加できるそうである。このレートなら1万円520元となる。元払いで50元お得となる。

初日の夕食会場だった。 西洋人受けするような 舞台の数々である。

 北京では京劇。桂林では夜景クルーズ。のオプショナルツアーに参加した。ここ西安でも宮廷舞踊ショーなる物に参加してみることにした。西洋人受けのするような派手な出で立ちや舞台背景には手が込んでいた。しかし,一人一人の動きとなると・・・。
 街の夜景の鑑賞にも車を走らせてくれた。
 オプション終了。西安最後の夜である。

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