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旅のプロローグ

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メサベルデNP〜
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ラスベガス


デスバレーNP

帰国の途に

賢治の旅日記
9月27日(木)ラスベガス〜28日(金)サンフランシスコ〜29日(土)帰国 

9月27日(木)
 07:10ラスベガス発〜08:52サンフランシスコ着
 10:45サンフランシスコ発〜28日13:55羽田着の予定であった。はずである。

とんでもない帰国の途・長い長い旅のエ?ピローグ

 05:00起床予定が昨夜の一波乱で20分寝過ごしてしまった。慌てる・酒は残っている。何をやっているのか分からない。慌ててチェックアウトするが,念押しに「Can I go out with my car」だけは尋ねた。カードキーを2枚とも手渡されたのだから間違いは無い。彼女はパーキングチャージの有無を確認すべきであった。私もレシートを確認すべきであった。駐車場に向かう途中のエスカレーターでも大失敗。大惨事になるところであった。バランスを崩しスーツケースを滑らせてしまった。前方には下りていく人が!唯々大きな声を出すだけになる。
 幸いにも接触は,なかったようである。唯々「I'm so sorry」しかなかった。荷物を持っている時はリフトを探そう。次はパーキングのゲートが開かない。ゲートを変えてみるも反応してくれない。インターフォンのボタンを発見オペレーターにゲートを開けてもらうことができた。時間のロス5分くらいであろうか?次はナビが急転直下左折の指示を出してきた。ナビに従うしかない。次に,案内されたゲートでは,ここではなく次のゲートだと指示される。Uターン。無事レンタカーリターンへ。燃料ももった。昨日のスーパー出発時から燃料警告の黄色ランプは,付きっぱなしではあった。チェックが入る。フロントバンパーがガタガタだった。それもフルカバーの保険適応でノープロブレムだと言う。サインをし,慌てて荷物をまとめバス乗り場へ。
 「ドメスティックユナイテッド」の指示通りのバスに乗る。時間の経過がとても気になる。第1ターミナルに到着。右端のユナイテッドへ。係の男性が見える。自動チェックインは手間どう。とっさに「Help me」手際よく作業は進められていくが,日本語の画面を見せられる。「45分前までに手続きを行ってください。手続きは打ち切られました。」の表示。時刻は6時30分前である。ほんの数分遅れたことになる。(ユナイテッドのメールからこの日の出発時間の変更が送られていた。07:02発となっていた。定刻の10分ならぎりぎりセーフだった訳である。)
 ここからが本当に助けてもらうことになる。次のサンフランシスコ行きの便と日本の到着空港は変わってしまうが成田行きの便への変更手続きを行ってくれた。成田が16時前の到着になるので羽田発徳島行きの便を最終便に変更してもらわなければならない。何とか伝えようとしたが日本国内の操作はできないようだ。救いは成田行きの便が全日空で,調整してもらえるとありがたいなという僅かな願いだけである。ところが発券が3枚しかない。私のサンフランシスコ〜成田の搭乗券が出てこない。これもノープロブレムだそうでたまにあるという。
 たった今気付いたことがある。私のポケットにレンタカーのキーがある。慌てて外に出るとレンタカーバスがいた。人の良さそうなおばちゃんドライバーにキーを託す。Please return the Rent Car's key too. This is in my poket.とか何とか言って手渡すと大爆笑!返してもらえただろうか?

 レンタカーのキーをポケットにしまい込み・・・。  ラスベガス空港のチェックインスペース。横に伸びて  良くみると壁面に綺麗なアートが・・・。

 手荷物検査場へ向かう。何事もなくスムーズに無事通過。
 妻は残った現金で甥っ子のために,お土産を物色している。早めに搭乗口へ向かう。時間が来ても搭乗が始まらない。またしてもハプニング?!サンフランシスコの管制塔から離着陸許可が下りないとのこと。(後のメールで知ることになる。)搭乗開始が11時と表示されている。11時30分になっても離陸しない。成田便は諦めざるを得ない。サンフランシスコ到着が13時であった。成田便は出て行ってしまっている。

空港内シャトル乗り場 シャトル内部 デパーチャー

 カスタマーサービスへ向かう。6〜7名が待っている。5人用のデスクに2人しか係員が対応していない。30分余り待たされる。対応してくれたのは「谷村新司」似のおじさん。妻が今までの経緯を説明する。今日の日本行きの飛行機はもう無いので,明日の今日と同じ便を手配してくれようとした。しかし,成田からの移動手段を考えると関空に帰った方が効率的だと考えた。関西をリクエストしてみると手配をやり直し始めてくれた。妻は費用を心配している。それでも迷った挙げ句関西で手を打った。
 「ここに滞在しなければならないのか?」の質問には,我々はホテルを持っていないのでと「フレッシュアップキット」なるものと40ドル分のミールクーポンを出してくれた。何も無いよりはベター。サンフランシスコでホテルを探さなければならなくなった。とりあえず腹ごしらえ。クーポンを使ってしまおうと言うことで近くにあったレストランでサンドイッチセットをオーダー。このクーポンに合わせたような値段であった。小さなインフォメーションで日本語の地図を手に入れダウンタウンへ向かうことにする。空港シャトルに乗りバート駅に向かう。
 空港が始発駅になる。とりあえずパウエル駅に向かうことにした。ユニオンスクエア周辺にホテルが密集していたからである。3年前のアラスカ行きのトランジットの空き時間にパウエルまで同じ経路で出掛けてもいる。片っ端からホテルを当たるが,どのホテルも非常に高い。サンフランシスコの情報は全く持っていない。数軒のホテルで値段を聞くものの270ドルが一番安かった。これにもラスベガスのような裏があった。ホテルフィーなるものがレシートに追加されている。

お世話になった堂島庵 カレーうどん美味しかった 青木のサインも
 ホリディインの隣に日本語で「堂島庵大阪うどん」の看板を確認した。渡りに船?サンフランシスコのホテル事情を少しでも聞きたい気持ちで一杯だった。打って付けに客も入っていない。開口一番Can you speak Japanese?が飛び出してしまった。日本語で情報をもらいたかった一心からであった。既に妻が喋っているのにも気付かず。堂島庵で二人の方に対応して頂いた。男性の方はアメリカ暮らしが長そうな大将かな?と思われる。女性の方は日本語がしっかりしていたので,こちらに嫁いで来た方か海外派遣に付いてこられた方?なんて勝手に想像していた。日本語で話せてとても心が落ち着いた。コンベンションがあったりすればホテル料金が跳ね上がるそうである。3百・4百・5百はざらだそうだ。一番安いホステルも提案してくれたがシングルのみの部屋しか空いておらず,妻がいやがってしまった。結局ヒルトン横のホテルに再び入るものの270ドルは名ばかりでアーバンフィーなるものまで徴収される羽目になる。とあるホテルではスマートホンから入ると半額になるとも教えてもらったが,とっさにタブレットを使おうという機転も利かずこのホテルに宿を取ることになった。
 一夜の宿の確保はできた。さっきのお礼に夕食を堂島庵で摂ることにした。あいにくさっきの女性の方は5時までの勤務で帰ってしまった後らしい。サッポロビールに枝豆・卵とじうどんにカレーうどんを頂いた。懐かしい日本の味に浸ることができた。同時に有り難さも感じることができた。心も温まる温かい料理であった。
 食事の後は,ここでの夜の徘徊もせず,ホテルで宛がわれたワインとつまみで早めの床に着くことにした。といっても着替えの下着がない。風呂上がり洗濯をしてアイロンがけやドライアーがけで乾燥を促した。バスローブもあったので良かった。予期せぬサンフランシスコでの1泊が付け加えられた。関西方面には台風24号が近づいているという娘からの情報が入る。

泊まったホテル 4万円の部屋だ!? アイロン台は立派!

9月28日(金)
 10;15サンフランシスコ発関西行きに是が非でも乗らなければならない。6時過ぎに目が覚める。昨日とは雲泥の差でゆっくりと身支度を調える。7時にはチェックアウト。昨日の青年はいない。ゆっくり歩いて坂を下るがパウエル駅まで5分とかからない。見納めのケーブルカーをカメラに収め,駅に下っていく。昨日空港で20ドル分のチャージをしたチケットを持っているのでそのまま改札を抜ける。7時16分の空港行きのバートを待つ。このバート料金の割に美しくない。サンフランシスコの顔なのに。構内もくたびれている。

朝7時のケーブルカー。 パウエルの駅へ。 空港到着。

 今日は過ぎ去る人々の観察ができるほどゆとりがあった。妻は犬の観察まで行っていたようだ。何車両かの電車が通り過ぎていく。30分余りでサンフランシスコ国際空港に到着する。空港内シャトルに乗ることができれば国際線乗り場に行けるはずであるがドメスティックとインターナショナルの二つの表示がある。インターナショナル表示に従うことにする。各ターミナルは赤・青の内回り外回り?のシャトル?ループで結ばれている。チェックインは昨日の内にできている。スケジュールボードで関空行きを探すが見つけられず,台風でキャンセル?の不安が過ぎる。別のボードを確かめると大阪行きでゲート99Aを確認することができた。ゲート90番台の手荷物検査場が指定されている。その遠いこと。
 使い方の分からなっかったベンダーマシーンの使い方が判明した。どこを探しても料金表示がないのである。タッチパネルを押してみる。欲しい商品の番号を押してみる。料金が現れた。現金やカード等で購入可能となる。一つ学習することができた。ギフトショップでチョコレートを購入後,チョコレート専門店を見つける。すかさず妻が入店。物色が始まる。私はビールを一杯引っかける。
搭乗開始

SFOのチョコ専門店 787はエコノミープラスに 機内食は鳥丼と

パスタ・中央の食感が初めての物  このビール割といけました。この次からリクエスト!  朝食二種盛りオムレツ&パンケーキ
1日遅れの日本到着

9月29日(土)
14:30関空着
 日本人は審査官による入国審査が無くなり,マシーンによるパスポートチェックになっていた。入国スタンプは希望者には押してもらえる。
 それにしても荷物が出てこない。私のバックパックだ。係の方に両手で抱えられて出てきた。タグが外れていたらしい。よく関空まで運ばれてきたものだ。サンフランシスコ到着時には行き先は成田になっていた。目的地を変更してもらえたので荷物のことも詳しく伝えた。サンフランシスコでのピックアップはなく,関空まで運ばれるといわれていた。中身は洗濯物で一杯なだけではあるのだが。個人旅行ではバックパックの使用が続いている。両手が空くのでとても便利である。自重も気にしなくて良いくらいの重さである。機内預けにすると航空会社のビニル袋にくるんでくれる。
 15時台のバスがない16:25まで待たなければならない。切符の購入時台風20号の被害状況を聞くことができた。小腹も空いてきたので2Fのファミマ前でおにぎりや水分の補給を行い時間つぶしも行う。プライオリティカードの選択肢が関空で一つ増えていた。「ぼてじゅう」での利用である。思っていた通り出発前の利用に限定されていた。この時間で40分待ちだそうだ。使い勝手は非常に悪そうである。当て込んではいけない施設である。でも一人3000円の飲食は大きい。バスの時間が迫ってくる。タンカー衝突後の連絡橋を初めて渡る。空港島から出るには車線の変更はないが長い区間で対面通行が続く。橋桁の修理でことは納まらなかったようだ。全面復旧は来年春になると言う。ベイシャトルが賑わうのではないだろうか?。
 雨の中,早めの徳島(松茂)到着になった。18:20である。松茂のJAで娘の迎えを待つ。出発前の車は徳島空港に駐めてある。駐車料金¥2400。乗り継ぎ都市の情報も必要。