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旅の終わりに

    賢治の旅日記
MountRashmore NM
9月22日(日)
 チェックアウトしようと外に出ると旦那が朝食のクーポンを配っている。昨日のうちに配ってくれていれば考えたのに。昨日スーパーで調達した物を既に食べ終わっていた。それでも,昨日から気になっていたタイヤのコーションマーク(これにはイギリスで痛い想い出があった。パンクの痛手を受けたことがあった。)について質問すると,自分では分からないといい,常連のお客だろうか?尋ねてくれた。常連?のお客曰く。気温が急に下がって空気圧も下がったのだろう。昼間走っていると直る。私の車も時々そうなると言ってくれた。キャンプ用品を揃えていたお客でもあったのでお勧めの観光スポットを尋ねるとニードルズハイウエイを勧めてくれた。お礼にトトロの折り紙をプレゼントすると孫に渡すと,とても喜んでいてくれた。

Black Hills Mile Hi Motel

 家の鍵を返しにフロントに妻と向かう。フロントに飾ってあった世界地図を見せたかったからである。宿泊客の住所にピンが刺してある。私も昨日仲間入りさせてもらっている。日本から2番目の客らしい。妻はトトロの折り紙を渡して,しばしの会話を愉しんだ。

 まず,因縁のクレージーホースメモリアルに向かう。料金徴収ゲートに例の彼はいなかった。再入場の黄色のカードを渡すとチケットをくれた。小さなチケットである。これをビジターセンターの受付係に渡すのであるが,再入場者か初入場者の区別が付くのであろうかという疑問がわいてきた。昨日のおばさんが居たので,ご挨拶。昨日の彼の話や日本に友達が居るとのことで,少しの立ち話になった。ドキュメンタリータッチの記録映画が上映されるというので30分余り見ることにした。

 完成がいつになるか定かでないクレージーホース。  ここの入場システムが分かりづらい。ゲートでチケット領収書を発行し,ゲート内に入れば,後はフリーにすればいいのに。わざわざビジタセンターでチケットを確認もしなくて済む。

ークレージーホースの解説ー
『4人の大統領の巨大な胸像のあるマウントラシュモアは有名ですが,同じブラックヒル州立公園内に,今も彫り続けられている更に巨大な彫刻がクレイジーホース記念碑である。周辺には,スー族のラコタ族が多かったが,そのラコタ族の酋長ヘンリー・スタンディング・ベアが彫刻家コルチャック・ジオルコウスキーにマウント・ラシュモアより大きなクレージーホースの彫刻を造って欲しいと依頼したことからプロジェクトがスタートした。 コルチャック氏は1982年に74歳で亡くなったが,彼の10人の子供のうち7人が彼の遺志をついで現在も彫り続けている。顔の部分はほぼ完成しているが,全部が完成すると高さ170m,長さが195mと正に世界最大の彫刻となるそうだ。
 政府からの援助は「国民の税金は使わせたくない。」「政府の意思で中止になる危険性もある。」とのコルチャックの遺志を踏襲してきっぱり断り,今でも民間からの寄付と,ここでのギフト販売,入場料のみで運営している家族プロジェクトである。「完成はいつ頃?」との質問に,答えは,「わからない,20年後かもしれないし,50年後かもしれない」との事。7人の子供達は,この仕事を生涯のものとして,この地でコルチャックの遺志を受け継いでいる。やっと顔が完成し,腕の下の穴を開けるところまで進んでいるが,どうみてもまだ全体の10%位しか進んでいない。あと50年位はかかるのではないかと思われる。ツアーバス($4)で馬のひずめのあたりの高さのところまで行くことができる。この辺には将来,大学を建設するという計画がある。
クレージーホースはたった一人で彫り始めたが,最初の7年間はまずは丸太の家作りと700段の足場を造る事で終わった。足場の完成後はコンプレッサー(ブッダという名前)からのホースを足場の上まで運び,ダイナマイトを仕掛ける穴を開ける作業をした。エンジンが1日に何回も止まり,700段の階段を1日のうち何度も上り下りしたとの事。ビジターセンターのテラスには完成後のクレージーホースの彫刻が置かれていて,本物のクレージーホースとダブらせて写真を撮ることができる。ここには,Indian Museum North America が隣接していて,先住民族のあらゆる部族の旗や貴重な展示物を見ることができる。ここにある展示物の90%は寄付によるものだ。
 スー族,ラコタ族の伝統派の人たちは,「美しい自然の山を破壊し,像にすることはクレージーホースの精神に反している,そもそもスー族の戦士は個人で指を指すような事はしなかったし,これは白人の抱くインディアンのイメージだ」と,このプロジェクトに反対する人も多いという。しかし,このプロジェクトがたった一家族で進められている事がとてつもない。』
・・・と言うような内容であった。


 バスに乗らないとこの角度からは見られない。  バスのドライバーにシャッターを切ってもらう。  ビジターセンター内にはネイティブの品々が一杯。

 ムービーが終わるとクレージーホースの麓まで行くことができるバスの案内放送が入った。1人$4必要だが,向かってみることにした。お客は6人。皆お年寄り。ドライバーもお年寄り。英語でドライバーから色々と説明がある。麓から見上げるとスケールの大きさが良く分かる。工事車両も数は多いのだが,働いている気配が感じられない。機械も古そうである。10分余り走って,麓で10分余り停車し,帰って来るというものであった。
ヘンリー・スタンディング・ベアのお墓も確認できる。
ビジターセンターに帰り,昨日見ていなかったものを見て回った。

 このゲートは子供のためにいろんな動物を彫り込んだものでコルチャックの最後のプロジェクトだったそうだ。この他にも,彼が残した作品の数々が展示されているが一人の人間がこれだけの事を成し遂げたことに驚くばかりである。
ゲート ビジターセンター入り口 遠くにクレージーホース

 中庭の完成予定像を探すまで,時間を要してしまった。完成が待ち遠しい。夜にはライトアップと共にレーザーショーが行われているらしい。昨日あのおばさんが書いてくれた「Light」の意味が今になって分かった。悪い思いでも良い思いでも引きずりながら旅は続いていく。


 マウントラシュモアNMへ。昨日の失敗からレーンを内側に入った。案の定駐車場に向かうレーンであった。ここの駐車場は山の斜面の半地下に階段状に作られている。駐車場スペースが山の斜面に隠されている構造になっている。まず$10の駐車料金を払わなければならない。自動受領機である。クレジットが通らなかった。現金に切り替える。二重取りは無かったろうか?まだ,確認はできない。

 アメリカを代表する歴代4人の大統領が白い花崗岩に彫られている。建築にはガトソン・ボーグラムが携わり,400人の作業員が14年間かけサウスダコタ州,ブラックマウンテン山塊の固い花崗岩に高さ18mの大統領の胸像を4体完成させた。彫られた4人の大統領は建国からアメリカを築き上げた最も重要な4人である。

 駐車場から階段を上っていく。大きなゲートが現れる。更に上ると4人の大統領の岩に彫られた肖像が確認できる。右側にビジターセンター。左側にトイレがある。ビジターセンターでスタンプを探す。人混みに隠れていたが,パスポートにスタンピング。ゆっくり歩を進めるが途中で工事が入っている。ギフトショップ前の通路より前には進むことができなかった。これには残念。色々な角度から写真を撮った。右のテラスに人だかりが・・・。記念写真を撮る人達で溢れている。
 妻からギフトショップに寄りたいとのリクエスト。大きなギフトショップであった。嶺央君にTシャツを買ってあげた。昨日のドラッグストアが数段安かった。

ジョージ・ワシントン
 アメリカ合衆国建国の父,合衆国憲法下において最初の大統領である。アメリカ独立戦争にて指揮官となりイギリス軍に勝利,憲法制定議会の議長にと選出された後,選挙人投票で100%の票を得た最初で最後と呼ばれる初代大統領である。当時の年給は25000ドルっであったそうだ。1ドル紙幣とクオーターに肖像が使われている。日本では子供のころ桜の木を切ったことを父親に正直に話したら逆にほめられたという逸話で「嘘をついてはいけない」の代名詞にもなっているが,1745年当時,アメリカ大陸にはまだ桜の木が無かったとのことから,その話の真相は明らかにされていない。
トーマス・ジェファーソン
(第3代大統領):ー拡張の象徴ーアメリカ独立宣言(1776年)の作者,またアメリカ合衆国建国に最も影響力があり,共和制の理想を追求した一人として知られている。就任中はルイジアナ買収でこのサウスダコタ州を含む現在の15州分を獲得し領土を2倍にした。ジェファーソン大統領は,ルイス・クラーク探検隊を発足したことでも有名。ルイス・クラーク探検隊は陸路で北米大陸を太平洋まで探検,ロッキー山脈の大陸分水嶺を越え,数々の困難を乗り越えて太平洋側まで到達し無事に帰還した。
セオドル・ルーズベルト
(第26代大統領) ー開発の象徴ー20世紀最初の大統領,本来は副大統領であったがマッキンリー大統領が暗殺されたことで大統領に昇格する。大統領就任の42歳は史上最年少である。日露戦争では日本・ロシア間の調停を勤め,停戦からポーツマス条約での和平交渉を斡旋したことでノーベル平和賞を受賞している。またルーズベルトは太平洋と大西洋を結び,世界的な流通に大きな進化をもたらしたパナマ運河の建設を決定したことでも評価が高い。



 エイブラハム・リンカーン(第16代大統領):ー保護,保存の象徴ー「人民の,人民による,人民のための政治」の演説であまりにも有名,奴隷解放の父と呼ばれたリンカーンは,もとは弁護士で運輸関係訴訟ではかなり有能であったと言われる。当時当たり前であった奴隷制度に反対し,リンカーンが大統領になったことで合衆国は2分化し,南北戦争へと進展した。南北戦争に勝利した後,大統領就任中(1865年),ワシントンDCのフォード劇場で時代喜劇を観劇中,後頭部を撃たれて暗殺された。  一眼レフを持ったお兄さんにシャッターをお願いすると快く引き受けてくれた。中国人の国際派の若者である。カメラに興味があるらしく設定を変えろと注文してきた。フォーカスを人物に当てると後ろの大統領達がぼやけ,後ろに焦点を当てると私達がぼけるという。ISOを1000まで上げることで納得してくれた。お返しに撮ろうか?と言うとノーサンキューとのこと。暫く佇んでいると再び中国人のお兄さんが現れシャッターを押してくれと言う。彼女を二人も引き連れ帰って来た。彼女たちは中国風の二人であった。  ゲートのシルエットが額縁のように。帰り際にここからのショットを選んだ。
 帰りの駐車場ゲートは無事に開くだろうか?チケットは財布の中に有る。
 ゲートは無事開いてくれた。
 一路ニードルズハイウエイを目指す。カスター州立公園の中を貫く山道である。

カスター州立公園へ。 
 マウントラシュモアからカスター方面に少し引き返すと,ニードルズハイウエイへの入り口がある。カスター州立公園に入る。ビューティフルパスは,使えなかった。綺麗な湖が出迎えてくれる。そこからは,先のとがった岩山のオンパレードが続く。道路も2車線は確保しているものの,とても狭く,景観の良いところでも車を簡単に駐められる環境では無かった。小さな路側帯に車を駐め,感じたビューポイントまで歩かなければならない。この辺り一帯をブラックヒルズと呼び,道路をパノラマ街道と呼ぶのかも知れない。車が1台通れるかどうかという岩山をくり抜いたトンネルがあった。ここの名所(代名詞)ともなっているようだ。

 SylvanLake Entranceからカスター州立公園に入る。
風光明媚なNeedlesHwy.を景色を愉しみながらゆっくりとドライブ。
 WildlifeLoopRoadにバッファローを求めて進入。


NeedlesEyeTunnel ロッククライマーが潜む! 先のとがった岩山が

更に南下を続けワイルドループロードに入る。野生の?バッファローを見るためである。しかし,行けども行けどもバッファローの影さえ見当たらない。標識には動物注意が示されているのに。出会ったのはロバの群!

SylvanLake ビューポイントが名付け られていない。

 一番南に下った頃,途上にビジターセンターを確認。バッファローの居所を尋ねると所在を教えてくれた。数マイル引き返したオフロードにいるという。トイレを済ませ$1の自販機でコーラを購入後,早速車を走らせる。

WildlifeStationVisiterCenterでパークレンジャーのおばさんにバッファローの所在を尋ねるとLameJohnnyRdにいるという。

 遠くに豆粒大の黒い点点が見える。近づくにつれバッファローであることが判明された。しばし,自家用車とバッファローの共演を眺める。放牧されたバッファローの様にも思われる。人慣れしている。これだけの観光客に毎日囲まれるのだから,そうなるのは当然の成り行きであろう。しばらくの間バッファローの大群の移動に見入っていた。

ワオー!バッファローが! 本当に野生なの? ラピットシティ空港

 まだ,飛行機までの時間はあるのだが,飛行場に向かうことにした。ガソリン警告ランプも点灯している。大きなビジターセンターで電波をもらいグーグルマップを再起動させることができた。最短の高速道路までのルートを選択した。インターチェンジにはたいていガソリンスタンドがある。高速が見えてきた頃右側にピザ屋を確認。ガソリンスタンドの所在を尋ねようと駐車場に車を入れた。丁度入ってきたご夫婦に声をかけると,あそこに見えていると教えてくれた。ガソリンを入れることを急務だとばかり考えていたのか自分たちの腹の中に何かを入れることに考えが及ばなかった。このレストランによってピザでも食べれば良かったのにと今更のように思えてしようが無い。ガソリンスタンドで1ガロン給油しチョコレートを買った。$5しなかった。1ガロン入れても警告ランプは消えなかった。カローラで4リットルあれば,100Km位は走るだろう!空港までは20数マイルである。チョコレートを食べながら空港に向かう。空港には何かあるだろう?という安易な考えで。
 16時過ぎに空港に到着。予定より2時間余り早い。レンタカーは元の場所に返却した。チェックの係員も居ない。貸し出してもらったカウンターへ行く。今日はおじさんが対応してくれた。走行距離を聞かれたので3日間で走ったところをまくし立てた。動物が一杯いただろう?から撮影した写真を片っ端から見せていった。暇なのか対応してくれた。いい加減に・・・と妻に釘を刺される。又ビールでも・・・。その場を後にする。
 搭乗受付まで1時間30分ある。レストランはクローズ。することがない。折り鶴の補給の時間に充てる。搭乗2時間前が近づいてきた。チェックインカウンターに早くも列ができている。暫くして受付が開始されたが,待てども待てどもいっこうに列が前に進まない。ラスベガスでは厳重なチェックは無かったのであるが,ここラピッドシティでは様子が違っていた。バックの大きさが規定以上だと追加労金を徴収されたり,荷物を分けろなどと指示されている。高齢のご夫婦などもう30分も手続きに時間を要している。1時間余りも経った頃ようやく私達の順番が回ってきた。最初の規約以内に全てを収めていたので「パーフェクト」というお墨付きを頂いた。しかし,ラスベガスではウエーブチェックインしないでもチケットが送られてきたのだったが,ラピッドシティではウエーブチェックインの必要が有った。操作手続きの変化は困ったものがある。ラスベガス〜ラピッドシティの旅行にはとてもナーバスになっていた。それでも,いい経験になった。
20:30ラピッドシティ発G4719便(Allegiant)

ダイニング モーテルの部屋は広い。 Baymont inn suites

21:48ラスベガス着
 明日は西へ向かう。160号線近くのモーテルを昨夜予約していた。ストリップのホテルを予約しても良かったが,朝食無しでリゾート税追加なら,ラスベガスのモーテルでもいいだろうという気になった。
 レンタカーバスでレンタカーセンターへ。「ダラー楽々プラン」で$304を予約したはずであったが。ナビがオプション扱いで$400を越えてしまった。グーグルマップが使えるのでキャンセルしても良かったのではあるが・・・。3台の日本車の中からトヨタ車をチョイス。いつものシボレーは無かった。カローラを選択。その後スーパーを2軒梯子し,食料等を買い込みモーテルに向かう。駐車場は満車に近い。ストリップのホテル街まで目と鼻の距離なのに,モーテルを使う人は多いのだ。宿泊費用が変わらなくてもストリップは駐車代金が発生する。地方に出て行く者にとっては,そのルート上にあるモーテルは,便利であるのであろう。

Yosemiteへ